あたしたちの癒やし

適応障害を患った。

患った、と言っていいのかよくないのかわからないけど、仕事をするのが苦痛で苦痛で、仕事のことを考えるだけでナーバスになって吐き散らして、全身が固まって動けなくなった。

2ヶ月で早々にギブアップ宣言したら、もうちょっとがんばってみて、と言われて2週間続けたけど、日に日に体調が悪くなった。

 

毎朝吐いて、シャワーを浴びながら吐いて、歯を磨きながら吐いて、煙草吸って吐いて、出勤前に吐いた。

週末になっても生きた心地がしなかった。吐いてばかりでご飯が食べられなくなった。リバウンドしたのに、あっという間に元に戻った(つまり、痩せた。)

 

もう無理もう無理!ってなって、逃げるように仕事を辞めた。退職届は1ヶ月後にしたけど、その次の日から出勤できず、退職日を前倒しにした。

 

甘えなんじゃないの?っていう考えは一切なかった。

むしろ適応障害で検索して「甘え」がサジェストされたのがびっくりしたくらい。

それくらい吐いて苦しんで、体を動かせなかった。おにぎり一個でも全て戻してしまって、日に日に衰弱していく私が甘えだとは思えなかった。

 

あー、こうなってしまったか、と当時は思ったわ。悪い予感が的中した、というか。

 

仕事ができないのも、人の言ってることがわからないのも、集中力がないのも、注意されるのも、一度言われたことが直さないのも、全て私がバカだからだと思った。

私がバカで無能だから、この職場にしがみつかないと一生どこでも雇ってもらえない、と思った。

 

でも、なんとか自尊心を取り戻せたのはこれまでの人生、仕事を一所懸命やって評価されてきたから。そうじゃなかったら、辞める選択肢もなかったかもしれない。

死ぬしかない、と思っていたかも。

(とはいえ、今回私は自殺衝動があったから、死ぬことしか考えられない時期もあったけれど。)

 

今も、ちょっとしたことで、当時の記憶を巻き戻してしまうことがあるけど「知るか、バァーカ!」と思えるようになった。

 

私は元々、自殺願望というか、死生観が「死にたい」寄りであると思う。

 

生まれてから、「あたしなんにもわかりませェ〜〜ん!!」って顔してたら生きていける若くてピチピチした頃が人生最骨頂で、それからは死ぬまでの下り坂一直線。

もちろん、女性は子どもを産む(人類として、雌としての)役割が少なからずあるのかもしれないけど、男として生まれた私は、別に人類繁栄に貢献しなくてもいいあぶれ者だから。

 

※女性はみんな子ども作らなきゃ!ってわけじゃなくて、何か大きな意思?(神様?システム?)みたいなのが計画的に動物を作ったとしたなら、種の存続、繁栄、というのは役割としてあるだろう、って話ね。私のタネは人類繁栄のために残してはいけないと思うから、そう思う女性もいるし、そんな誰かわからないもののために貢献しなきゃいけないの?って人もいると思う。

 

 

一時の、ほんとに辛くてやばくて死のうと思った時期は過ぎたけれど、でもそう思ったら正常な私って、まともな私って、元々の私ってどんなだったっけ、と思うようになって。

 

今はつらくない、と言えば嘘になるけど、じゃあ元々はこうじゃなかったの?と聞かれれば、元からあたしってこんなのよ、という節もある。

 

そういうのも含めて、まだ病気が続いてるのかもしれないわね。

 

当時はほんとに信じられないくらい何もできなかったから、

今は、チェックリストにきちんとチェックを入れられることが幸せなことのように思える。

 

シャワーを浴びる。

歯を磨く。

服を着替える。

トイレに行く。(アイドルだからしないけど。。)

喉が渇いたら水を飲む。

ご飯を食べる。

吐かない。

死のうとしない。

寝ころんでないで、座る。

外に出る。

友達に会う。

ゲームをする。

本を読む。

遊びに行く。

オナニーをする。(アイドルだからしないけど。。)

 

ほんとに、何もできなかったのが怖かった。

水を飲んでも吐いてしまうし、水を飲むために立ち上がれないから、喉が干上がって飢えを感じる、とか。

トイレに行かなくて、ベッドの中で粗相をしてしまいそうになる、とか。(結局、私の深すぎる膀胱のお陰で難を逃れたけど。)

 

今は色んなことができるようになってきていて、だからこれを病気と言うのね、というのがわかってきた。

とは言えまだ、何かのきっかけで背中を押されたら、一歩踏み外してしまいそうで、そんなわけで、1〜2週間は療養をする予定です。

 

時間が解決してくれるといいけどねぇ。

あたしたちのお釣り

 ちょっとバタバタして、適応障害になったり仕事を辞めたり、まだ次の仕事を探すこともしていないうちに、だいぶの時間があいてしまった。

 

 

「男性同士NG」ラブホに行政指導 「ホテル側に客選ぶ権利ないの?」の声も

http://www.j-cast.com/2016/10/25281732.html?p=all

 

ふうん。。

 

これって、実際どうなのかね?

男の家にセックスしに行ったら、盛大にお釣りをぶちまけてシーツどころか布団もダメにしかけたあたしたちは、ちょっと(かなり)ホテルの従業員側の気持ちに寄り添う必要があると思う。

 

だってあなた、自分の家ならそりゃうんこくさくなるのも自己責任だけどさ。

至る所に糞便が撒き散らされていることも可能性としてはゼロではないわけでしょ?

 

特にあたしたちは、ホテル側の都合とかも考えずに「汚しちゃったけどいいや」と思いがちなわけ。

 

もちろん、もちろんよ?

男性同士に限らずアナルセックスをする人たちはいるし、アナルセックスをしない同性カップルもいるし、アナルセックスをしてもきちんと処理(前処理、なり後処理、なり)するカップルもいるでしょうよ。

アナルセックスに限らず、乳児なんかは半ばうんこして泣くのが仕事みたいなところがあるじゃない? 

 

ノロウィルスに感染する可能性があるから、トイレの水は蓋を閉めてから流せ、その上で流し残りのないように流した後を確認しなさいよ、という清潔なお国柄に生まれたあたしたち。

シャワートイレを開発したのは日本だし、うんこに関しては並々ならぬ関心がある我が国、日本ともなれば、そりゃ居室空間にうんこを持ち込むのはご法度なわけですよ。

 

ぶっちゃけ、あたしたちにとっては、恋愛からうんこに繋がる連想ゲームの人生を送っているわけ。

男性同士が差別っていうのもわかるけど、一度もお釣りで失敗したことのない人以外はそんな声あげられないと思う。

 

だからあたしたちは声を大にして言おう。

「あたしたちはアナルセックスをしませんよ」と。

ホテル側も「アナルセックスお断り」と掲げましょうよ。

 

問題点はそこだけなんだから。

なんてわかりやすくてシンプルな世界!

 

 

まぁそれに限らず、他のお客の目があるから、なんちゃらっていう所は問題外だと思うけどね。

部屋にシャワーのついてない旅館なんかさ。朝ご飯をみんなで食べてるところで、若いカップルが、陰毛にマン汁つけたまんまでご飯食べてるわけでしょ?

そんな不衛生な人たちに、衛生的なカップルのことをどうこう言う資格はないし、汚れてない人を汚れてるなんて責めるのも御門違いよ。不快だったらなんなの?他人が不快だったらなんなの?生きてちゃいけないの?殺してくれるの?

不快な生き物がいたら目の届かない所に追いやりたい気持ちはわからないでもないけど、じゃあおたく個人は不快な生き物ではないの?不快な生き物と認定されても「不快な生き物」だと思われない世界があると信じていられる?

 

あたしたちにとって不快なもの、それはうんこよ。

 

 

 

あたしたちの怒り(ネタバレ)

もう嫌なことが多すぎて、とっとと死んでしまいたくなるような日々。

世の中には生きたくても生きられない人もいる、っていうのは常套句だけど、その人たちとあたしたちは住んでる環境が違うのだから、比べたからってなんの意味もない。

 

なんだかなーー。

ドロップアウトして、細々と生きていきたいよ。

それもできないのは臆病だということなのかもしれないけど、色んなことの板挟みで、ここで息を吸ってるのがただただ苦痛。

 

という話は置いておいて。(8割方言ってしまったけれど)

 

映画「怒り」を見てきました。

 

彼氏と一緒に見るような映画じゃねーだろ、と思いつつ、邦画を映画館のスクリーンで見て何が面白いの?とぶーたれつつ、まぁなんだかんだ言って、見てよかったと思います。

 

でもやっぱ、邦画ってイマイチ好きになれないな。

 

監督がナントカカントカさんだから、邦画の括りに入れていいのかもわかんないけど。

 

むーーん。

 

まぁ、ぶっきーの「ホモのコスプレ」はよかったよね。なんかピチピチした服着てさ。親の墓参りなのにシャツのボタン3つくらいあけて。

いわゆるシャイニーゲイの役で、これまでの同性愛者っていうと、主役として扱われても、悲劇だったり儚げだったり、夢の存在のような扱われ方だったけれど、実際にゲイが(そしてゲイに限らずに全ての人が直面しうる)問題を取り扱っていて、よかったよね。

 

ただ、良くない言い方をすれば30過ぎて、親を看取るというのは、それはそれで幸福なのかもしれないよね。

介護の問題とか、あるし。。

(まぁ、未だに親の脛をちょいちょいかじってしまう私としては、親に死なれたらとても困るのだけれど。)

 

あとは、そうねぇ。。

愛子ちゃんね。

 

ぶっちゃけ、愛子の演技がなければこの映画は完成しなかったのではないか、というほどの威力で、あのシーンはあたし、めちゃめちゃ泣きました。

 

愛子がこんなだから、疑っちょるんだろう??

 

みたいなやつ。

 

あー、わかる、って思ってしまった。

人間、誰しもが自分が優秀で完璧だとは思ってない。不完全なところもあれば、人より劣っていたり、卑屈に感じるところもある。

そういう、心の隙をつまびらかにするような、素敵なシーンでしたね。

 

怒りというテーマも、それぞれに盛り込まれていて。

犯人は、自分は侮辱されているのではないか、見下されて憐れまれるような人間じゃないのに!という怒りをトリガーに自分を抑えられなくなって。

 

愛子ちゃんは、自分が愛した男に裏切られてしまった、しかも家出して風俗で稼いだお金まで持っていかれてしまって、どこにも誰にもぶつけられないような怒りを、ただただしやくり上げるだけで表現しててよかったよね。

最終的にここだけハッピーエンドになるのは「愛子ちゃんがそんなんだから幸せになれないわけじゃないんだよ」という、脚本の許し、みたいなのもあるんだろうなと思います。傲慢だけどね。

 

広瀬すずのところは、ちょっと割愛。。というか、本当はこの映画の主軸はここにあるんだろうけれど、あたしたちにとって、あまりにも身近な社会問題なものだから、映画の感想、として話してしまうのは憚られるわよね。

カルピスとかガーナとかマッチとか、順当に「清純派路線」で来ていた広瀬すずが、この映画で体当たりの演技をしたことや、社会問題を題材にしていることは、キャリアプランを考えてくれるいい大人が周りにいるのか、本当に演技が好きで女優として生きていきたいんだな、というのが強く感じられましたね(天から目線)

 

愛子ちゃんが脚本の許しを得て、幸せと安穏の世界に戻ったのとは対照的に、広瀬すずは、大海に放り出されます。脚本は広瀬すずにとっては残酷です。

泣いて叫んでもそれも全部ひっくるめて波の音にかき消されてしまう自然の雄大さは、厳しくもあり、傷をちっぽけなものに感じさせる慈しみもあり、なのかしらね。と思ったけれど。

でも、ハッピーエンドにもバッドエンドにも落ち着かないこのテーマこそが、今現在日本で大きく扱われなければいけない社会問題なのかしら、とも思いました。

 

米軍基地に反対しているのは本土の人間ばかりで、しかも実際には日当も配られていてアルバイト感覚で行われている、なんて話もあるけれど、日本という国が、これまでのように外交でだけで世界と共存できるのか、っていうのは、考えていかないといけないですよね。

(だって、特に日本が外交に秀でているとは到底思えないんだもの。)

 

はい、怒りの話に戻ります。

 

ぶっきーは、ぶっちゃけ箸休めというか、「顔も知らない素性も知らないってあと何がある?」みたいなノリで決められたんじゃないかなと邪推してしまうくらい、薄いというか、あまり、怒りを感じられない静かな怒りでした。

怒りというよりは、悲しみとか虚しみといった感じよね。

別にこれは、ぶっきーじゃなくても、女と男でもよかったかもしれない(愛子ちゃんと被るけれど)

エロいシーンが多くて、綾野剛の下半身が白ムチで美味しそうで、ぶっきーのホモのコスプレがエロくて、よかったんだけれど、まぁ私自身がゲイの当事者として、身近過ぎて何にも思えないのか、突拍子もなく綾野剛が死んでしまって「そんなのアリ?!」で終わってしまいましたね。

ぶっきーが中目黒の街中で泣くシーンも、「あーんぶっきーかわいい」みたいな、なんというか、ここだけ脚本がよくある邦画になってしまっていて、変な言い方をすると残念というか。。

 

残念って思ったのは、別個あって。

この映画は三箇所の地域(Tokyo、港町、沖縄)を舞台にして、それぞれに主役、相手役、キーパーソンがいるわけなんだけれど、これだけそれぞれの舞台に話が交わらずに「怒り」という抽象的なテーマだけで繋がっているようで、群像劇というよりは、ショートフィルムを3本まとめて、「ぶっきーがエロいから、沖縄の基地問題についても考えてよ」と暗に言われているような気持ちにもなりました。

もちろん、その目論見があるのであれば大成功。

そういう目線で見ると、マーケティングはちゃっかりなされているのかなという気にもなりますよね。

サスペンスで、宮崎あおい渡辺謙の実力派の鬼気迫る演技があって、ぶっきーと綾野剛がイチャイチャして、広瀬すずがアイドル女優から一歩抜き出て、その裏には深刻な社会問題も取り扱われている、と。

 

ただそれでもラブ・アクチュアリー的な群像劇を面白いと思ってしまう私としては、もっと各々で小さい設定を繋げて「遊び心」みたいなのが欲しいような気がしました。そういうのも「いや、テーマがテーマだけに」となってしまえばしょうがないんだろうけどね。。

真犯人が××だというのも、わかる、わかるよ!それ!って気もするけど、なんかもっと捻らないの?と思ったのも事実で。

 

要は、みんな真剣に生きているのにそれを天から目線でせせら笑っているような連中が「人殺し」であり「悪」であり「怒り」なんだよ、ってことなんだけれど。

 

いやー、そうね。

期待を裏切られた、という気もするし、期待通りだったという気もする。

愛子ちゃんの「愛子がこんなだから、疑ってるんじゃろ?」がなかったらただの重たいだけの映画だったし、もっとぶっきーと綾野剛がエロいことをして欲しい映画だったな。

 

綾野剛が中目黒で女と会っているのを目撃されて、ぶっきーが憤慨するシーンがあってね。

あたしたちの素晴らしい脳内補強ストーリーとしては、

 

怒ったぶっきーが綾野剛に「しゃぶれよ」とか言って、乱暴に扱って、綾野剛が後で「もっと俺を大事にして」って顔も見ないでちょっとさみしい顔をするシーン

 がありましてな。脳内でな。

 

そこが非常によかったです。

 

 

 

シン・あたしたち

流行り物に乗ったものの、中身は何の関係性もない日記その2

 

転職して、けっこうシンドイめにあいましてね。

もう無理もう無理辞めちゃう辞めちゃう明日から行かない!!っていう時期と、

ま、まぁなんとかなるもんかしらね、っていう時期とを繰り返しています。

 

一ヶ月経ちましてね(´-`)やってる業務内容は二ヶ月分らしいですけどね。

 

お金を扱う業務なので、シビアな部分が多くて(当たり前なんだけど)

明らかにこれは間違えちゃいけないだろ!ってところにまでは気が回るんだけど、どこかしらで抜けてしまって、細々としたところをチマチマ繰り返してしまってねぇ。。

ほんとにこのままなんとかなるのかしらね。

 

21くらいから口すっぱく言ってきたし、言ってる自分がそうならないはずがないとは絶対に思えなかったんだけど、

やっぱり頭がかたくなっていくのを感じるわ。。

 

こんなに物覚え悪かったかな、みたいな。。

 

あと、職場でうっかりカミングアウトしてしまったのだ。

しかも今回は男性相手。おじさん相手。

 

カミングアウトについては散々書いてるし、

実はどこぞのWEB媒体で記事になっているので、

 

https://plus-handicap.com/2016/06/7472/

これだにゃん!

 

今更何をブログにするんだ、、という気ではあったの。

書いてて食傷気味というか。。

 

今回がちょっと違うのは、30になったことで、なんかもう後戻りができない、ではないけれど、リセットできない?ような、

心機一転ではなんともならない、頑固さとか老化?角質が溜まってくようなものを感じるようになったの。

 

こうやって生きてきたんだから、これからもきっとこうやって生きていくのよ。

 

この先、どんなに変化するかはわからないけど、墓石にジェット噴射で戒名を吹き付けるみたいには変わらなくて、川の小石が流れに身を任せているうちになめらかになっていくみたいな???みーたーいーーなーーー?

 

だからあたしたちは、今になって「イチ」から物語を作ることなんてできないんだって思ったの。その必要もないしね。メリットもない。

 

ノンケ生活と同性愛としての生活を両立できている人はたくさんいるわよ。

でもそんなに器用じゃないし、逆にあたしたちみたいなドオカマがノンケアピールしたら、辻褄が合わないことがどんどん出てくるはずでしょ。

 

あたしたちが今こうやって生きているのは、一朝一夕でできあがった一泊二日2食付8800円素泊まりokな安宿じゃなくって(グリプラ閉館だってね、そういえば。)

毎日毎日お時給いただいてお仕事して、7万円の家賃を払ってきた結果なのよ。

 

 

それを今更、異性愛者然として生きてくのなんてできるわけない!ドオカマだし、男か女かっていったらクソ女よ。

 

クソ女が小生意気にノンケぶったってさ、感じ悪いおじさんにしかならないわけじゃない。

 

だからすごいナチュラルにカミングアウトしてみたの。

「彼女いないんですよね、彼氏ならいますけど」みたいなノリで。

 

気持ち悪いと思うならお互いに二度と口をきかなければいい話だし、

そんなことでお友達付き合いできないんだったら、職場に何しに来てんの?何十年どうやって生きてきたの?って話じゃない??

 

殺したけりゃ殺せーーーー!!

煮るなり焼くなり好きにせーーー!!

 

 

まぁ近いうちに辞めるんだから、と思って軽く言ってしまったのは否定しないけど。

今のところ、何も大きな事件は起きてないけど、もしそれでグッバイ退職になるのであれば、それはそれでいいのよ。

今の職場以外にも働けるところなんていくらでもあるんだからさ。

あたしたちの名は

興味もなんにもないけれど、流行り物に乗ってみる。

(そしてブログのネタは全然関係ないという体たらく)

 

30になりました。

 

三十路。

 

アラサーだったのがただのサー(Sir)になりました。

 

特に、実感も何もないけど、ちょっと暗い話をすれば30になるまでに絶対自分は自殺してしまうと思っていたので、まぁ日頃から気が強くてヒステリーなあたしたちを支えてくれる皆さんのおかげだし、あたしたち自身がしっかりジンセイやれてるってことなのじゃないかなと。

 

30までに恋人が欲しい!30のうちに彼氏が欲しい!と散々にゃんにゃん騒いでいましたが、結局恋人ができることになりました。

 

これから、諸条件を突き合わせて割り印をかわすところです。。

 

気の強いオカマが好き、ということらしいのです。

 

気が強くてヒステリーでオネェなのに、

二人っきりでセックスすると普通の男の子みたいなところが好みなんだそうです。

 

なんだそれ(´-`)キモ

 

自慢じゃないけどあたしゃそんなやつ(気が強くてヒス持ちのオネェ)嫌だよ。

 

強いのは、気だけじゃないしサ。。(微エロ)

 

 

仕事は非常に非常に波があって「あたし絶対辞めるこの会社辞める試用期間で辞める。。」って時と「まぁこのくらいなら及第点かな?ホホホ」って時とがありすぎて、なんだか気が狂いそうですけど。

 

人は弱ってる時のほうがかわいげがあるっていうもの。

ましてや鉄の処女と呼ばれるあたしたちのことだもの。

風邪ひいて普通の人と同じ感情レベルまで落ちるあたしたちだもの。

 

辛いこととか、30にしてそれもできないの?って言われたりとか、新卒がドヤされるような言い方をされるとか、もうそろそろ慣れてきましたわね。

嫌なことがあるってことは、それだけ浮き上がる時のノビシロは高いもんだと思っちょります。

 

捉え方によっては、あたしたちって若く見えるのかしら、みたいなこともあるし。

「うふふ〜恥ずかしがり屋さんなのね?」って思うこともできるのです。

 

Every cloud has a silver liningっていうしね、世の中。 

 

 

全然関係ない話でオチとしますが、

誕生日前日に男の子がうちを訪問してきて、ケツを掘って帰っていきました。

お喋りしたら0時過ぎてて誕生日おめでとうですって。

 

激動の三十路!

あたしたちの鼓動は愛

24時間テレビって、もう偽善とか善とかじゃなくって、必要悪なんだと思う。

 

当事者本人のやりたいやりたくないを抜きにしても、

障害者を見世物にして募金を募る構造は見世物小屋そのものだと思うし、それで負荷がかかってるのは障害者側だもんね。

同じことをどれだけの健常者がやりたがるだろうか、という意味でもね。

 

本人がやりたいって言ったとしてもテレビで晒し者にしないと叶えてあげられない、と言うのであれば、自発的見世物小屋なだけですよ。そもそも見世物小屋だって本人がそれでやっていこうと思ってやってるわけ。

賃金が発生する見世物小屋よりもよりそれはアレなんじゃないかしら。

 

もちろん、当事者の夢を叶えてるということは素晴らしいことだとは思うわけ。

実際に2億円も募金ができているわけだしね。

とはいえ、老人を100km走らせたり、無理を気合いで押し通させたり、っていうのは、このご時世、誰からも批判されることなく続けられることではないわよね。

 

30年前にはじまったらしいけれど、結局30年間ずっと同じことをして飽きない??

というか、世の中ってもっと変わっていってない?みたいな。

良い意味でも、悪い意味でもね。

 

障害者施設の殺人事件だって起こってるわけで、それで愛だの根性だのっていうのは詭弁でしかない。

障害者はがんばらなくったって、誰かに手間をかけなければ生けなくったって、生きているということは、それだけで誰かに蔑ろにされるようなことではないのよ。

障害の有無なんて関係ない、生きてちゃいけない人間なんて一人もいないのよ、っていう強いメッセージを打ち出して欲しいと、あたしたちは思っています。

 

だって、「障害者なのにテレビに出てる」みたいな理由で暴力が振るわれるような国に生きてるわけじゃん、うちら。

 

白杖持って歩いてたらわざとぶつかって来られたりさ。

 

今回はおじいちゃん(そこまででもないか)がマラソンを走ったのだけれど、雨の日曜日に武道館にあれだけ人が押し寄せるっていうのは、驚きだったのよね。

 

 みんな興味あるんだ、見世物小屋に感動を期待してるんだ、って思って。

 

感動したい、っていう人間の欲に対して、この犠牲の多さは愛だとか夢とかで完結できるものではないでしょう。

 

 

私が出ろって言われたら、そりゃまぁ出ますけど。

あたしたちがヤリマン

「こういう女を、さびしがりやの弱い女って言うんですね。したがりやのずるい女って言うのかと思ってました。」

 

なんだか色々とブログのネタになりそうな事件は起こっているのですが、ツイッターにぴゃぴゃって書いたら気が済むから、あんまり書く話題もない。

 

21歳から9年間、恋人ができずに30を迎えてしまいますのよ。

 

あたしたちあたしたち、と主語を大きくブログを書いてる割に、あまり共感を得られなさそうなトークテーマ。

 

あたしたちってほら、20代半ばくらいで、誰か素敵な人と素朴ながらも美しい恋をして、今頃には「付き合って3年になる彼氏がいますぅ〜〜」ってノンケで言うところの妻帯者ぶってるはずだったんですよ。

 

30にしてまだ独り身(´-`)独り身どころか9年間誰にも心を開いてないとは。

 

いやぁね、体は開いてたんですよ、そこそこ。

あたしたちってほら、猪木と同じで「いつ何時誰の挑戦でも受ける」ことを信条としてるから。

 

ぶっちゃけイケなくても年上でもなんでも、食えるもんはとりあえず食っとく主義。

 

いつか飢えて死ぬ時に

「あの時あの男とセックスさえしておけば。。!!」って思いたくないのよね。

 

とりあえずちんぽが口に収まっていれば文句はありません。

 

でも最近咥えすぎて飽きちゃったの。

あたしたちちんぽに飽きちゃってる。

どうする?どうなる?