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あたしたちの孤独

金曜の夜からさっきまで、

彼氏と48時間一緒にいました。

 

人間嫌いで有名なあたしたちは、よく知らない人と一緒にいると、3時間で疲れて6時間で帰りたくなります。

好きだし話も会うし一緒にいたいし会えない時は会いたくなるけど、他人は他人。

 

ちょいちょい、1人になる時間を設けて、やり過ごしていたのですが、

シャワーを浴びたりご飯を食べたりするタイミングをお互いに調整しないといけなくって、更に疲れる。

 

1人でいる時間がないと息苦しくなるあたしたちからしたら、シェアハウスとか同棲とか、そもそも結婚生活とかありえないわけですよ。

 

でも、昼夜逆転も治ったし、吐くこともなかったし、楽しく過ごしたわけです。ノロケ。

 

あれだね、温泉に一泊旅行はサイコーだけど、家に帰ると「やっぱり家がいいなー」っていう感覚で、1人で家に帰って、文字通り全てを脱いで、1人を堪能すると、心が休まるわけですね。

 

おうち大好き。

あたしたちの文章書き

あたしたちは別に仕事でブログを書いてるわけじゃない。趣味ってほど、没頭してるわけでもない。

例えていうなら料理と似てるよね、っていうところで、料理と文章書きの共通点、みたいなのが出てきたのでちょこちょこ書いてみます。

 

料理は得意ですか?と聞かれたら、

「あたしの作る料理は、酒に合います」と答えます。

味付けは濃いし、簡単だし時間もかからない。その分雑で大味だけど、お店で出されるのとは一味違った「家飲みの醍醐味」みたいなのもあります。

 

文章も一緒ですね。

説明もほぼ省略してるし(自分でどの部分に説明が必要なのかも把握していない。自己満足で書いてます。)

テーマさえあればそれでズバババっも書き上げちゃう。何個も書けちゃう。

オチも書きながら考えるし、好き勝手に脱線する。

 

本職のライターが書くような、読みやすくて素敵な見栄えのいい、軽量カップでみりんと醤油を入れるような文章は書けないけど、

家飲みのような(あたしが目の前で菊正宗片手に話しかけてるような)文章を書けてると思うの。

 

たくさん本を読んでる人は、文章を書くのも自然と上手になるし、料理だって色んな料理を食べてれば、ある程度の料理は作れるんだと思う。

(味噌汁にシチューは合わねーよな。赤ワインには肉だよな、レベルよ)

 

壊滅的なのが、レシピ通りにしか作らないくせに、ないものを調達して来ない人。

みりんがない時に何で代用したらわからないから、みりんも砂糖も日本酒もハチミツも入れないで、お醤油の味が濃くなってしまう、ような。

文章だってそうですよ。読書感想文を例に取ってみると、レシピ(本)はあってそれを読んではいるんだけど、それに必要な材料が手元にない。

自分はどこに感動をしたのか、なぜそこに感動したのか。どの表現がよかったのか。今後自分の人生に何を取り入れられるだろうか。結末以降をどう自分の脳内で補填するのか、結末じゃないにしろ、誰のどういう行動について自分はどう感じて、なぜそこに惹かれ共感できるのか。

皮をひん剥いて肉を曝け出して血を流すんですよ。そこまでしないと「感想」なんか出てこないし「自分の味の料理」だって出ない。

 

そうでないと、ただレシピ通りに作ってしまって、「それって読書感想文ではなくてあらすじでは?」ってことになる。

あらすじを書いてしまうだけならまだマシで、重要なポイントもわからないから、隠し味のバターでコクを足すのも、小麦粉をまぶして余分な水分を吸うのも、わからない。

だから美味しい料理が作れない。

男と女が出会って、高校生で別れたけど大人になって結婚する話、みたいな味気のなさ。

 

そもそも読書感想文なんて難しくて書けないんだから、まずは日記なり、ニュースを読んでみて自分はどう思ったのか、感想を書いてみるのがいいと思うけどね。

ブログなんかでよくある「お題を使ってブログを投稿」みたいなのも実は難しいと思う。生姜焼きなら作れるけど、酢豚は作れないもん。

 

例えば日記を例にあげます。

①今日は○○ちゃんと遊びました!

②服を買いに行ったら、ご飯まで時間があったのでカラオケに行きました。

③ご飯中はお酒をしたたかに飲んで、恋愛論を語らいました。

④二日酔いで頭が痛いし覚えてないけど、フェラチオって連呼したのは微かに覚えてます。

 

はい、これが日記型起承転結です。起承転結がわからない人はあたしのブログを読む脳みそがないと思うから説明は省くけど、まず料理をしたり文章を書き始める場合はざっくりな流れを決めるとまとまりがつきやすいと思う。

その例として、料理のうえでの起承転結を書いてみます。

 

①肉に下味をつけて、野菜を切ります。(材料)

②フライパンに油を入れて、ニンニクと生姜を入れます。(器具)

③香りが立って来たら肉を入れて、片面に焼き色がついたら裏返して野菜を入れます。

④めんつゆをまわしかけて、軽く水気を飛ばし、最後に塩胡椒で味付けします。

 

これが料理の起承転結です。

まずは材料ですね。誰と遊んだのか、いつ遊んだのか、何を使うのかを明確にします。

次に、どう料理するのか、何をしたのかを書きます。

そして、メインです。フライパンに材料を入れて加熱するのと、ご飯をしながら恋愛話に花を咲かせたのは話の中のメインです。

最後に、オチをつけます。料理で言うと味付けですね。めんつゆをかけるだけだと味がぼやけるので、塩コショウをして味を整えます。

二日酔いで頭が痛いだけだと面白くないので、メインに絡んだエピソードを1つ盛り込みます。

 

これで起承転結型の構成が出来上がりです。

これで面白い文章が書けなかったら、もっとスリリングでワクワクするような人生を楽しんだほうがいい。

ベランダで全裸オナニーとかさ。

 

ちなみに、先ほど投稿した「あたしたちの串打ち」は一切読み返さず一気に書きました。構成も考えていません。

そういうとこもあたしの料理の作り方に似ています。材料があって、なんとなーくあるもので料理して、得意な味付けでしめてみた感じですね。

 

今回はちょっと構成を考えて4つにセクションを分けて書いてみました。

ちょっとは読みやすいかしら?

 

あたしたちは料理もできないし文章も書けないし日本語も拙いけどちんぽがすぐに硬くなるイケメンを応援しています!

あたしたちの串打ち

「焼鳥屋からの切なるお願い」
http://amba.to/2fx7qK8

 

ネットでうろうろしてて、気になったこの「焼き鳥の串を外すのはマナー違反か?」問題を取り上げます。社会派ですね。

 

諸々のまとめ記事を読む限り、焼き鳥屋さんは一本一本丹精込めて串打ちをするので、食べる時に肉を串から離すことはそれを台無しにしている、ということのよう。

 

ネット上の意見を見る限りでは、串から外すと「肉汁が落ちるため、味を損なう」だとか「冷めやすくなる」だとかの理由でマナー違反(美味しく食べることができない)と言われているんだとか。

 

そんなにバラになった肉が食いたけりゃバラバラで焼いて食えよ、と。

(要するに焼肉として食べてよ、ということみたい。)

 

んんんんん〜〜〜〜????

 

なんか、そういう問題なのか?と思ってしまった。

 

だって、焼き鳥って、その方が美味しく焼けるから、串に打ってるだけなんじゃないの?と。

食べる時に美味しいから串に刺しているわけではなくない?

 

もちろん、あたたかいうちに食べる方が美味しい、とか、肉汁が出ると旨味が逃げる、とか、はちょっと年下のあたしにもそのくらいわかるわよ。

でもそれがイコールで串に刺さっておるほうが美味しいとは限らないと思うの。

 

例えばよ?

焼き鳥って焼く時はゲタ状(=みたいなかたちね)になった台の間に炭火を置いて火にかけてるわけよね。

そこに串を渡して(橋をかけて)炙ってるわけよね。んで、串打ちが難しいというのは、串を打つ時に、均等に火が回るように刺さないといけないから、だと思っていたの。

 

話をちょっと変えると、鮎の塩焼きってあるじゃない。鮎の口に串を刺して、焚き火の周りに立てて焼くわよね。

 

そういうのも別に、串を刺したから美味しいわけではなくて、調理をする都合上、その方が勝手が良いからそうしてるわけなんだと思ってたのよ。

 

食べる側からしても、当初は皿とか箸とか使う概念がなかったから、串を打ってそのままかぶりつくのが効率的だったりさ。

お寿司だって元々は1巻2巻つまんでお茶(あがり)をすすってお金払って帰るものだったわけじゃない。

それが今の時代でも正だとするなら、正しい食べ方をする人なんて立食パーティでピンチョスみたいな食べ方するような人たちだけじゃない?

 

串で焼くことのメリットはもちろんあると思うのよ。

 というわけで、串焼きのメリットを調べてみました(アフィリエイト記事風)

  

焼き鳥はなぜ串に刺さっているのか? http://www.hinokami.co.jp/megane/105/

 

ほほー。

つまり、商売をする側として量り売りではなく串売りをした方が管理面、生産効率の点で優れている、というわけね。

細かく切った肉の方が火の回りが早いし、串一本にまとめれば、ひっくり返す工程も簡単で、両面に均等に火を加えることができる。

鶏肉は「皮目をこんがり焼いて、肉はふっくら」が良いとされているから、構造上理想的な焼き方になるという見方もできるでしょう。

 

頭の方の肉のほうが大きい、とか

根元のほうが味が濃い、とかも、

だから串のまま食べたほうが美味しいとはならないんじゃないかなー。

均等にしてくれ、と言ってるわけでもないし、取り分けても先の方から食べれば同じじゃん、ってなるような気がする。

 

 

結論!

焼き鳥屋、特に講釈を垂れるような店は

会食には合わない!

揉めたくなかったら、講釈を垂れるようなお店へは1人で行くように心がけましょう。

 

っていうのは意地悪な言い方だけど、「お店がある程度ルールを持ってる店」っていうのは、友達だろうと職場の付き合いだろうと一緒には行きづらいよね。

 

あたしたちの知ってる店で、「鳥田むら」みたいなところだったら

「この店はまず、盛り合わせを注文するんだよ。食べる順番が決まってて、順番通りに食べると味とか歯ごたえの変化が楽しめるよ。提供される時間もお店で見ててくれるから熱々のままで食べられるよ。盛り合わせは6本だけど、1本が3個ずつでちょうどいいボリュームだよ。」ってドヤ顔で通ぶれるのはいいよね。

 

なんか、、焼き鳥は串のまま食べたほうが美味しい、っていうのも、冷めにくい肉汁が落ちにくいっていう点では、とてもとても理解はできるんだけれども。

自称ツウ気取りのマナー警察みたいで、感じは良くないよね。

 

そんなことを鳥貴族かなんかでデート相手に言われたらあたしたち、焼き鳥の串で目玉をほじくり返してしまいそうよ。

 

 

だったら盛り合わせを頼む時に「うちはチェーン店と比べて串のボリュームがそんなにないから1人一本食べるのでちょうどいいですよ。」っていうアドバイスをしてくれると、串のままで食べやすいよね。

ていうか、盛り合わせを3種類×人数分にしてくれればいいのよね。

5人いて5種類1本ずつ出されてそれを串から外さないで食べるの難しいでしょ。

 

 

あたしたちのファビュラスは鳥田むらと鳥貴族を応援しています!

参鶏湯も大好き!

 

あたしたちの癒やし

適応障害を患った。

患った、と言っていいのかよくないのかわからないけど、仕事をするのが苦痛で苦痛で、仕事のことを考えるだけでナーバスになって吐き散らして、全身が固まって動けなくなった。

2ヶ月で早々にギブアップ宣言したら、もうちょっとがんばってみて、と言われて2週間続けたけど、日に日に体調が悪くなった。

 

毎朝吐いて、シャワーを浴びながら吐いて、歯を磨きながら吐いて、煙草吸って吐いて、出勤前に吐いた。

週末になっても生きた心地がしなかった。吐いてばかりでご飯が食べられなくなった。リバウンドしたのに、あっという間に元に戻った(つまり、痩せた。)

 

もう無理もう無理!ってなって、逃げるように仕事を辞めた。退職届は1ヶ月後にしたけど、その次の日から出勤できず、退職日を前倒しにした。

 

甘えなんじゃないの?っていう考えは一切なかった。

むしろ適応障害で検索して「甘え」がサジェストされたのがびっくりしたくらい。

それくらい吐いて苦しんで、体を動かせなかった。おにぎり一個でも全て戻してしまって、日に日に衰弱していく私が甘えだとは思えなかった。

 

あー、こうなってしまったか、と当時は思ったわ。悪い予感が的中した、というか。

 

仕事ができないのも、人の言ってることがわからないのも、集中力がないのも、注意されるのも、一度言われたことが直さないのも、全て私がバカだからだと思った。

私がバカで無能だから、この職場にしがみつかないと一生どこでも雇ってもらえない、と思った。

 

でも、なんとか自尊心を取り戻せたのはこれまでの人生、仕事を一所懸命やって評価されてきたから。そうじゃなかったら、辞める選択肢もなかったかもしれない。

死ぬしかない、と思っていたかも。

(とはいえ、今回私は自殺衝動があったから、死ぬことしか考えられない時期もあったけれど。)

 

今も、ちょっとしたことで、当時の記憶を巻き戻してしまうことがあるけど「知るか、バァーカ!」と思えるようになった。

 

私は元々、自殺願望というか、死生観が「死にたい」寄りであると思う。

 

生まれてから、「あたしなんにもわかりませェ〜〜ん!!」って顔してたら生きていける若くてピチピチした頃が人生最骨頂で、それからは死ぬまでの下り坂一直線。

もちろん、女性は子どもを産む(人類として、雌としての)役割が少なからずあるのかもしれないけど、男として生まれた私は、別に人類繁栄に貢献しなくてもいいあぶれ者だから。

 

※女性はみんな子ども作らなきゃ!ってわけじゃなくて、何か大きな意思?(神様?システム?)みたいなのが計画的に動物を作ったとしたなら、種の存続、繁栄、というのは役割としてあるだろう、って話ね。私のタネは人類繁栄のために残してはいけないと思うから、そう思う女性もいるし、そんな誰かわからないもののために貢献しなきゃいけないの?って人もいると思う。

 

 

一時の、ほんとに辛くてやばくて死のうと思った時期は過ぎたけれど、でもそう思ったら正常な私って、まともな私って、元々の私ってどんなだったっけ、と思うようになって。

 

今はつらくない、と言えば嘘になるけど、じゃあ元々はこうじゃなかったの?と聞かれれば、元からあたしってこんなのよ、という節もある。

 

そういうのも含めて、まだ病気が続いてるのかもしれないわね。

 

当時はほんとに信じられないくらい何もできなかったから、

今は、チェックリストにきちんとチェックを入れられることが幸せなことのように思える。

 

シャワーを浴びる。

歯を磨く。

服を着替える。

トイレに行く。(アイドルだからしないけど。。)

喉が渇いたら水を飲む。

ご飯を食べる。

吐かない。

死のうとしない。

寝ころんでないで、座る。

外に出る。

友達に会う。

ゲームをする。

本を読む。

遊びに行く。

オナニーをする。(アイドルだからしないけど。。)

 

ほんとに、何もできなかったのが怖かった。

水を飲んでも吐いてしまうし、水を飲むために立ち上がれないから、喉が干上がって飢えを感じる、とか。

トイレに行かなくて、ベッドの中で粗相をしてしまいそうになる、とか。(結局、私の深すぎる膀胱のお陰で難を逃れたけど。)

 

今は色んなことができるようになってきていて、だからこれを病気と言うのね、というのがわかってきた。

とは言えまだ、何かのきっかけで背中を押されたら、一歩踏み外してしまいそうで、そんなわけで、1〜2週間は療養をする予定です。

 

時間が解決してくれるといいけどねぇ。

あたしたちのお釣り

 ちょっとバタバタして、適応障害になったり仕事を辞めたり、まだ次の仕事を探すこともしていないうちに、だいぶの時間があいてしまった。

 

 

「男性同士NG」ラブホに行政指導 「ホテル側に客選ぶ権利ないの?」の声も

http://www.j-cast.com/2016/10/25281732.html?p=all

 

ふうん。。

 

これって、実際どうなのかね?

男の家にセックスしに行ったら、盛大にお釣りをぶちまけてシーツどころか布団もダメにしかけたあたしたちは、ちょっと(かなり)ホテルの従業員側の気持ちに寄り添う必要があると思う。

 

だってあなた、自分の家ならそりゃうんこくさくなるのも自己責任だけどさ。

至る所に糞便が撒き散らされていることも可能性としてはゼロではないわけでしょ?

 

特にあたしたちは、ホテル側の都合とかも考えずに「汚しちゃったけどいいや」と思いがちなわけ。

 

もちろん、もちろんよ?

男性同士に限らずアナルセックスをする人たちはいるし、アナルセックスをしない同性カップルもいるし、アナルセックスをしてもきちんと処理(前処理、なり後処理、なり)するカップルもいるでしょうよ。

アナルセックスに限らず、乳児なんかは半ばうんこして泣くのが仕事みたいなところがあるじゃない? 

 

ノロウィルスに感染する可能性があるから、トイレの水は蓋を閉めてから流せ、その上で流し残りのないように流した後を確認しなさいよ、という清潔なお国柄に生まれたあたしたち。

シャワートイレを開発したのは日本だし、うんこに関しては並々ならぬ関心がある我が国、日本ともなれば、そりゃ居室空間にうんこを持ち込むのはご法度なわけですよ。

 

ぶっちゃけ、あたしたちにとっては、恋愛からうんこに繋がる連想ゲームの人生を送っているわけ。

男性同士が差別っていうのもわかるけど、一度もお釣りで失敗したことのない人以外はそんな声あげられないと思う。

 

だからあたしたちは声を大にして言おう。

「あたしたちはアナルセックスをしませんよ」と。

ホテル側も「アナルセックスお断り」と掲げましょうよ。

 

問題点はそこだけなんだから。

なんてわかりやすくてシンプルな世界!

 

 

まぁそれに限らず、他のお客の目があるから、なんちゃらっていう所は問題外だと思うけどね。

部屋にシャワーのついてない旅館なんかさ。朝ご飯をみんなで食べてるところで、若いカップルが、陰毛にマン汁つけたまんまでご飯食べてるわけでしょ?

そんな不衛生な人たちに、衛生的なカップルのことをどうこう言う資格はないし、汚れてない人を汚れてるなんて責めるのも御門違いよ。不快だったらなんなの?他人が不快だったらなんなの?生きてちゃいけないの?殺してくれるの?

不快な生き物がいたら目の届かない所に追いやりたい気持ちはわからないでもないけど、じゃあおたく個人は不快な生き物ではないの?不快な生き物と認定されても「不快な生き物」だと思われない世界があると信じていられる?

 

あたしたちにとって不快なもの、それはうんこよ。

 

 

 

あたしたちの怒り(ネタバレ)

もう嫌なことが多すぎて、とっとと死んでしまいたくなるような日々。

世の中には生きたくても生きられない人もいる、っていうのは常套句だけど、その人たちとあたしたちは住んでる環境が違うのだから、比べたからってなんの意味もない。

 

なんだかなーー。

ドロップアウトして、細々と生きていきたいよ。

それもできないのは臆病だということなのかもしれないけど、色んなことの板挟みで、ここで息を吸ってるのがただただ苦痛。

 

という話は置いておいて。(8割方言ってしまったけれど)

 

映画「怒り」を見てきました。

 

彼氏と一緒に見るような映画じゃねーだろ、と思いつつ、邦画を映画館のスクリーンで見て何が面白いの?とぶーたれつつ、まぁなんだかんだ言って、見てよかったと思います。

 

でもやっぱ、邦画ってイマイチ好きになれないな。

 

監督がナントカカントカさんだから、邦画の括りに入れていいのかもわかんないけど。

 

むーーん。

 

まぁ、ぶっきーの「ホモのコスプレ」はよかったよね。なんかピチピチした服着てさ。親の墓参りなのにシャツのボタン3つくらいあけて。

いわゆるシャイニーゲイの役で、これまでの同性愛者っていうと、主役として扱われても、悲劇だったり儚げだったり、夢の存在のような扱われ方だったけれど、実際にゲイが(そしてゲイに限らずに全ての人が直面しうる)問題を取り扱っていて、よかったよね。

 

ただ、良くない言い方をすれば30過ぎて、親を看取るというのは、それはそれで幸福なのかもしれないよね。

介護の問題とか、あるし。。

(まぁ、未だに親の脛をちょいちょいかじってしまう私としては、親に死なれたらとても困るのだけれど。)

 

あとは、そうねぇ。。

愛子ちゃんね。

 

ぶっちゃけ、愛子の演技がなければこの映画は完成しなかったのではないか、というほどの威力で、あのシーンはあたし、めちゃめちゃ泣きました。

 

愛子がこんなだから、疑っちょるんだろう??

 

みたいなやつ。

 

あー、わかる、って思ってしまった。

人間、誰しもが自分が優秀で完璧だとは思ってない。不完全なところもあれば、人より劣っていたり、卑屈に感じるところもある。

そういう、心の隙をつまびらかにするような、素敵なシーンでしたね。

 

怒りというテーマも、それぞれに盛り込まれていて。

犯人は、自分は侮辱されているのではないか、見下されて憐れまれるような人間じゃないのに!という怒りをトリガーに自分を抑えられなくなって。

 

愛子ちゃんは、自分が愛した男に裏切られてしまった、しかも家出して風俗で稼いだお金まで持っていかれてしまって、どこにも誰にもぶつけられないような怒りを、ただただしやくり上げるだけで表現しててよかったよね。

最終的にここだけハッピーエンドになるのは「愛子ちゃんがそんなんだから幸せになれないわけじゃないんだよ」という、脚本の許し、みたいなのもあるんだろうなと思います。傲慢だけどね。

 

広瀬すずのところは、ちょっと割愛。。というか、本当はこの映画の主軸はここにあるんだろうけれど、あたしたちにとって、あまりにも身近な社会問題なものだから、映画の感想、として話してしまうのは憚られるわよね。

カルピスとかガーナとかマッチとか、順当に「清純派路線」で来ていた広瀬すずが、この映画で体当たりの演技をしたことや、社会問題を題材にしていることは、キャリアプランを考えてくれるいい大人が周りにいるのか、本当に演技が好きで女優として生きていきたいんだな、というのが強く感じられましたね(天から目線)

 

愛子ちゃんが脚本の許しを得て、幸せと安穏の世界に戻ったのとは対照的に、広瀬すずは、大海に放り出されます。脚本は広瀬すずにとっては残酷です。

泣いて叫んでもそれも全部ひっくるめて波の音にかき消されてしまう自然の雄大さは、厳しくもあり、傷をちっぽけなものに感じさせる慈しみもあり、なのかしらね。と思ったけれど。

でも、ハッピーエンドにもバッドエンドにも落ち着かないこのテーマこそが、今現在日本で大きく扱われなければいけない社会問題なのかしら、とも思いました。

 

米軍基地に反対しているのは本土の人間ばかりで、しかも実際には日当も配られていてアルバイト感覚で行われている、なんて話もあるけれど、日本という国が、これまでのように外交でだけで世界と共存できるのか、っていうのは、考えていかないといけないですよね。

(だって、特に日本が外交に秀でているとは到底思えないんだもの。)

 

はい、怒りの話に戻ります。

 

ぶっきーは、ぶっちゃけ箸休めというか、「顔も知らない素性も知らないってあと何がある?」みたいなノリで決められたんじゃないかなと邪推してしまうくらい、薄いというか、あまり、怒りを感じられない静かな怒りでした。

怒りというよりは、悲しみとか虚しみといった感じよね。

別にこれは、ぶっきーじゃなくても、女と男でもよかったかもしれない(愛子ちゃんと被るけれど)

エロいシーンが多くて、綾野剛の下半身が白ムチで美味しそうで、ぶっきーのホモのコスプレがエロくて、よかったんだけれど、まぁ私自身がゲイの当事者として、身近過ぎて何にも思えないのか、突拍子もなく綾野剛が死んでしまって「そんなのアリ?!」で終わってしまいましたね。

ぶっきーが中目黒の街中で泣くシーンも、「あーんぶっきーかわいい」みたいな、なんというか、ここだけ脚本がよくある邦画になってしまっていて、変な言い方をすると残念というか。。

 

残念って思ったのは、別個あって。

この映画は三箇所の地域(Tokyo、港町、沖縄)を舞台にして、それぞれに主役、相手役、キーパーソンがいるわけなんだけれど、これだけそれぞれの舞台に話が交わらずに「怒り」という抽象的なテーマだけで繋がっているようで、群像劇というよりは、ショートフィルムを3本まとめて、「ぶっきーがエロいから、沖縄の基地問題についても考えてよ」と暗に言われているような気持ちにもなりました。

もちろん、その目論見があるのであれば大成功。

そういう目線で見ると、マーケティングはちゃっかりなされているのかなという気にもなりますよね。

サスペンスで、宮崎あおい渡辺謙の実力派の鬼気迫る演技があって、ぶっきーと綾野剛がイチャイチャして、広瀬すずがアイドル女優から一歩抜き出て、その裏には深刻な社会問題も取り扱われている、と。

 

ただそれでもラブ・アクチュアリー的な群像劇を面白いと思ってしまう私としては、もっと各々で小さい設定を繋げて「遊び心」みたいなのが欲しいような気がしました。そういうのも「いや、テーマがテーマだけに」となってしまえばしょうがないんだろうけどね。。

真犯人が××だというのも、わかる、わかるよ!それ!って気もするけど、なんかもっと捻らないの?と思ったのも事実で。

 

要は、みんな真剣に生きているのにそれを天から目線でせせら笑っているような連中が「人殺し」であり「悪」であり「怒り」なんだよ、ってことなんだけれど。

 

いやー、そうね。

期待を裏切られた、という気もするし、期待通りだったという気もする。

愛子ちゃんの「愛子がこんなだから、疑ってるんじゃろ?」がなかったらただの重たいだけの映画だったし、もっとぶっきーと綾野剛がエロいことをして欲しい映画だったな。

 

綾野剛が中目黒で女と会っているのを目撃されて、ぶっきーが憤慨するシーンがあってね。

あたしたちの素晴らしい脳内補強ストーリーとしては、

 

怒ったぶっきーが綾野剛に「しゃぶれよ」とか言って、乱暴に扱って、綾野剛が後で「もっと俺を大事にして」って顔も見ないでちょっとさみしい顔をするシーン

 がありましてな。脳内でな。

 

そこが非常によかったです。

 

 

 

シン・あたしたち

流行り物に乗ったものの、中身は何の関係性もない日記その2

 

転職して、けっこうシンドイめにあいましてね。

もう無理もう無理辞めちゃう辞めちゃう明日から行かない!!っていう時期と、

ま、まぁなんとかなるもんかしらね、っていう時期とを繰り返しています。

 

一ヶ月経ちましてね(´-`)やってる業務内容は二ヶ月分らしいですけどね。

 

お金を扱う業務なので、シビアな部分が多くて(当たり前なんだけど)

明らかにこれは間違えちゃいけないだろ!ってところにまでは気が回るんだけど、どこかしらで抜けてしまって、細々としたところをチマチマ繰り返してしまってねぇ。。

ほんとにこのままなんとかなるのかしらね。

 

21くらいから口すっぱく言ってきたし、言ってる自分がそうならないはずがないとは絶対に思えなかったんだけど、

やっぱり頭がかたくなっていくのを感じるわ。。

 

こんなに物覚え悪かったかな、みたいな。。

 

あと、職場でうっかりカミングアウトしてしまったのだ。

しかも今回は男性相手。おじさん相手。

 

カミングアウトについては散々書いてるし、

実はどこぞのWEB媒体で記事になっているので、

 

https://plus-handicap.com/2016/06/7472/

これだにゃん!

 

今更何をブログにするんだ、、という気ではあったの。

書いてて食傷気味というか。。

 

今回がちょっと違うのは、30になったことで、なんかもう後戻りができない、ではないけれど、リセットできない?ような、

心機一転ではなんともならない、頑固さとか老化?角質が溜まってくようなものを感じるようになったの。

 

こうやって生きてきたんだから、これからもきっとこうやって生きていくのよ。

 

この先、どんなに変化するかはわからないけど、墓石にジェット噴射で戒名を吹き付けるみたいには変わらなくて、川の小石が流れに身を任せているうちになめらかになっていくみたいな???みーたーいーーなーーー?

 

だからあたしたちは、今になって「イチ」から物語を作ることなんてできないんだって思ったの。その必要もないしね。メリットもない。

 

ノンケ生活と同性愛としての生活を両立できている人はたくさんいるわよ。

でもそんなに器用じゃないし、逆にあたしたちみたいなドオカマがノンケアピールしたら、辻褄が合わないことがどんどん出てくるはずでしょ。

 

あたしたちが今こうやって生きているのは、一朝一夕でできあがった一泊二日2食付8800円素泊まりokな安宿じゃなくって(グリプラ閉館だってね、そういえば。)

毎日毎日お時給いただいてお仕事して、7万円の家賃を払ってきた結果なのよ。

 

 

それを今更、異性愛者然として生きてくのなんてできるわけない!ドオカマだし、男か女かっていったらクソ女よ。

 

クソ女が小生意気にノンケぶったってさ、感じ悪いおじさんにしかならないわけじゃない。

 

だからすごいナチュラルにカミングアウトしてみたの。

「彼女いないんですよね、彼氏ならいますけど」みたいなノリで。

 

気持ち悪いと思うならお互いに二度と口をきかなければいい話だし、

そんなことでお友達付き合いできないんだったら、職場に何しに来てんの?何十年どうやって生きてきたの?って話じゃない??

 

殺したけりゃ殺せーーーー!!

煮るなり焼くなり好きにせーーー!!

 

 

まぁ近いうちに辞めるんだから、と思って軽く言ってしまったのは否定しないけど。

今のところ、何も大きな事件は起きてないけど、もしそれでグッバイ退職になるのであれば、それはそれでいいのよ。

今の職場以外にも働けるところなんていくらでもあるんだからさ。