おばさんになれないあたしたち
自分のこと「おばさん」扱いするのって楽だよね。あたしたちもついやっちゃう。
大きな理由としては、ある程度自分を落としておくことで、落とされた時のダメージを減らすのが1つね。
「あたしなんてブスだからぁ」と同じ原理。あと、それに対して「全然ブスじゃなくない?」を待つのね。
もう1つは、自分をあえて下げることで「下の上」を演出できることね。
20代前半の子たちが住んでるHappy island Tokyoは確かに世知辛いのだ。ちょっとかわいいだけだったら、すぐ「顔はかわいくてもおばさん」とか「同じベクトルだったらわざわざおばさんを選ばなくない?」とか言われちゃうので、わざと自分を30代後半から40代が生息するシマに追いやって「その中ではイケてる方」という誤認を誘うわけ。
「短所も多いけど、かわいいお姉さん」だと思ってるいけ好かないブスほど、自分をおばさんだと言いたがる風潮は強い。
ほんとに自分のことをブスだと思ってるブスとか、イケてる方だと信じてやまないブスたちは、おばさん扱いされるとやたらとムキになりますね。
前者は「まだおばさんじゃないもん!」とお怒りになり(もん、の言い方が昭和)
後者は「若い子至上主義っておかしくない?加齢と共に、色気とか魅力とかが増すもんじゃない?」と静かにお怒りになり(でも本人が想像してるのは、ヒラコリとかトワコとかいちいち美魔女)
正直、他人に対しておばさんと罵ることのメリットってなんにもありません。
ここでいう「○○だけど、かわいい部類に入ってると勘違いしてる女」は、おばさん呼ばわりされても、余裕綽々とした顔で笑いに変えてきます。
「ミホまだおばさんじゃないもん!ぷんぷんビーム!」とか「そうなのーおばさんなのーかなP」とか「おどりゃこりゃてめぇ!!」とか言ったりします。
その場ではニコニコしてても、次に会った時は初対面ということになりますので、若手の皆様にとりましては、粛々と自分の言動の大きさに責任を取っていただきたい。
おばさん呼ばわりはイコール臭い呼ばわりと同じなので、しっかりと「この人になら嫌われても自分には無害」だと判断して使うようにしてね。
まあとはいえ、他人からおばさん呼ばわりされたところで微動だにしないのが大人の女です。そもそも、事実おばさんだしね。
「ここに空気ありますね!」っていう事実を「空気ないもん!あたし酸欠になりそうだもん!」って質す必要もないわけで。
そんなことよりも目につくのが、若い子のおばさんアピールですよ。
「あたしも最近すっかり年取っちゃって〜」って、パンと張った肌、重力に負けないマブタ、乱れがちなホルモンバランスにありがちの吹き出物、ありとあらゆる若さのポテトSセットが詰まった若い子が、
視界のどこかでそんなことを言い出す日がいつかきっと来る。
若ければ「おい今なんつった?」「てめぇがババアだったらあたしはなんだ?鉄の塊か?メーテルか?」っつって激昂するところですが、
まぁ(そういうところがほんとに若くないんだと思いつつ)聞こえないふりしてそっとしておくことが多いわけよね。
そういう、場の構成が読めない子は、意識的にシャットアウトした方が共存共栄できますからね。
あたしたち同士でも、もっと年上な人もいれば年下の人もいるわけで、もうそんなことで戦争をするのはやめましょうよ、と。あたしたちは思うんですね。
18だろうが30だろうが50だろうが、
「明日の自分は昨日の自分より老いてきる」条件面は同じであってね。
もういいよ!はいはい、あんたはおばさん、おばさんね!その中でもイケてる方だと思ってるけど、ほんとにただの何の変哲もないおばさんだからね!どこに出しても恥ずかしくないおばさんだからね!よかったね!はいはい!
って優しく接してあげようと思った今日この頃なのでした。
以上、お題「自己紹介」です。
あたしたちには人の気持ちがわからない
「裏切られた」ってよく言われるんだけど、それってその相手の主観的な話よね?
それをあたしたちに言われても、って思わない?
そっちが期待をしましたよ、こっちは期待に応えようと努力しましたよ、でも結果として頓挫したことを、裏切られたって言われるの。
フェアじゃなくない?
じゃああたしたちなんて、あんたには一切合切期待も何もしてない。
恋人だったら、浮気しないでとも思わないし毎週会って欲しいとも、アナルを舐めて欲しいとも思わない。
仕事だったら、残業時間を減らしてとも、給料を上げてとも、エロ尻男子に1時間に一回目の前で屈んでくれなんて思ってない。
あたしたちは何も要求してないのに、期待に応えられなかったくらいで何を言ってるんだ。
だから、ここは譲歩をするべきなの?
あたしたちは、あなたのこの要求を飲む努力をします、だからあたしたちはこれを期待してるわ、と。
でもさ、そんなことしなくても、仕事候補なり恋人候補なりは、他にあるわけじゃない。
建設的な議論ができないあたしたちの問題?
あたしたちとしては、これまで我慢しながら、うまいことやり過ごしていこうと努力してきたつもりだったのよ。
癇癪起こして危害を加えたらよかったのかな。
そしたら期待なんかされなくなるじゃない。
あたしたちは、がんばるのが当たり前だと思ってる。
がんばって、耐えて、やり過ごして、
無理かも、って思ったら根を上げる。
それで、譲歩する余地がない交渉相手と何を交渉するの?
デカチンポが痛いから、アナルセックスしたくないって言ったら
「デカチンポが大変なのはタスクとして認識しているし、今後痛くならないように改善していこうと思う。だから今は痛くても我慢してればいつか痛くなくなるから、アナルセックスして欲しい」って言われてもさ。
我慢して続けろよ、って意味で、何にも変わってなくない??
ティーネイジャーの頃からずっと言われてた。あたしたちには他人の気持ちがわからない!
人手不足だから残って欲しいって言われたけど、それは会社の予算の話で、予算ギリギリの人員しか雇うつもりがないことと、あたしたちが居残ることで人手不足が解消されること(出て行くことで人手が不足すること)はなんの関係もないっていうか、そりゃそうよねって話だと思うのよねー。
あたしたちの合鍵
半年前に付き合って、3ヶ月くらい前から音信不通になった彼氏がいます。
喧嘩をして、それは十中八九こっちが悪いんだけど、その後の相手の態度がどうしても納得いかなくて、
「わかったわかった、あたしは精神病で今はまともに話せる状態じゃないから距離を置きましょう」と近づかないで宣言をしまして。
それでこちらは順調に回復に向かって(まぁ今の職場でも病んでるけど、それは別の話ね)
1人の生活を、今思えば勝手に1人の生活を満喫してたわけです。
飲み屋で男の子にちゅーされたりね。にゅふふ。
全然終わってなかった。むしろなんで勝手に終わったことになったんだろう、って自分でも不思議に思った。
今日ふとしたタイミングで遭遇する機会があって、こちらもあちらもしたたかに酔って
「このタイミングじゃないとできないと思うからさ」っつって、お互いに預け合ってた合鍵を戻した。
その直後に「この人俺の彼氏なの」って話になって、
「あ、そっか。彼氏っていうのは、口約束でも約束なんだ」って思い知らされた。
自分でもひどい人間だと思う。
病んでる時には「あなたがいないと何もできない」ような顔をしておいて、いざ用事が済んだらもういいかなって見切りをつけるなんて。
よく「精神的に辛い時を支えてくれたのが今の恋人で」っていう話を聞くけどさ。
その人たちは、寛解した時にも相手のことを受け入れられた(好きでいられた)のかしら。
なんだか、全く別の人間になっていたような気分で、頭にかかっていた霧が晴れたら、それまでの感情が、良い意味でも悪い意味でもクリアになってしまった。
そもそも、彼氏とか欲しくないし、いらない。世の中は辛くてきついもので、その人生に誰かを付き合わせるのが、後ろめたく感じる。
あたしたちに「とっておきの誰か」は必要じゃないのかもしれない。体面良く言うと「誰か特定の人がいると全てが壊れちゃう」し、体面悪く言うと「弱ってる時じゃないと誰も必要ない」ってことだと思うのよね。
彼氏恋人の関係が、そもそものところで自分のライフスタイルと合わないんだけど、それを相手にどうやって言おう。
また弱ってから優しくしてね、それじゃ嫌な女にもほどがある。
別の誰かだと思ってまたイチから口説き直して、それも嫌な女。
結局悪者になるしかない。
間違ったことをしているのは、ここ半年重々承知。
仕事でも恋愛でも、正しいことなんてしてきてない。
でも自分で自分を責め続けて、その傷の方が辛いから「そんなに自分を責めなくても良くない?」って誰かに言って欲しい。
誰もあんたになんて興味ないよ。
あんたのことを好きな人は、そんなことで嫌いにならないよ。
すぐに結果を見極めなくてもいいよ。
どれでもいいけど、多分「人生は長いから、誰かを傷つけたり傷つけられたりうまくいかなかったりするけど、それで自分を責め続けても解決したことにならない」っていうのを教えて欲しいのよね。
自分とは付き合えなくて、自分は自分を好きになってくれないことが辛いわね。
そんなわけで若い男の子に人生めちゃくちゃにされたいわ。
あたしたちと丁寧な暮らし
ツイッターに書いたことをまとめました。
なんか人のネタをパクって書いただけなのにすげえふぁぼられてんの。びっくらこいた。
私の考える丁寧な暮らし
レベル1
食後に熱いお茶を飲む
刺激の強い光を避ける
ボディクリームを塗る
明日の予定を立てる
LINEスタンプはどうしても欲しいものだけ買う
レベル2
毎晩歯磨き+フロスで念入りに掃除する
夕食に汁物は欠かせない
朝起きたらカーテンを開ける
毎日湯船につかる
土曜日だけは夜更かしをする
レベル3
シャワーから上がる時は簡単に掃除をする
トイレが汚れないように先にトイレットペーパーを敷く
盆と正月には実家に帰る
寝る前に苦手な人のことを考えてちょっとユウウツ
いいオイルを毎日取り入れる
レベル4
Facebookでイイネする
ツイッターに悪口を書かない
他人の男を寝取らない
友人を口汚く罵らない
全裸で踊らない
レベル5
相手に気づかれずに背後を取る
失言は社会的な死を意味する
人生とは戦争と革命、平和のワルツである
女子力は目に見える
内面の美しさは輝きとなって現れる
補足1
レベル1は「工夫」レベル2は「決め事」レベル3は「規律」レベル4は「戒律」レベル5は「思想」
丁寧な暮らしとは自己の神格化を目指す宗教である。
補足2
丁寧な暮らしは、はじめは「毎日の充実」から入るけど、最後の方は「相手が痛みを感じる前に殺してあげる」「尊い犠牲の上に成り立つ平和」「目に見えないものが見えるようになる」とか、神性を帯びてくる。
昔ねんごろだった男を「丁寧な暮らし」に奪われてから、丁寧な暮らしに対しては一家言ある。
丁寧な暮らしをしたい、と言って蒸発してしまったの。。
あたしたちの母性
2016年は、もっぱらあたしたちの中ではなかったことになっているんですが、それももうそろそろ落ち着きはじめて、やっぱ朝起きて8時間働いて、疲れて帰って夜に寝るのって、健康的でいいことだわね。
今までは、なんか自分の中で引け目というか「大人としてちゃんと働かねば!」と思ってたんだけど、今思うと、30まで惰性で生きてきて、これから逆転ホームラン打つのってすんごい大変。
あたしたち、世間体のためだけにそこまでして生きられない。
のんびり生きていこうと思った次第です。
そうはそれで、最近のあたしたちは母性がすごい。
液体だったらじゅーじゅー出てくる。
かわいい男の子に会いに、飲み屋に通い、トロトロになって帰ってくる。たのしい。
元々「ジャニーズの子の母親になりたい」という欲望があったあたしたち。
ククレカレーを持って帰ってきて「カレー作る?」って聞かれたい。
性欲では全然ないのよ。
抱いて寝たり、濡れた体をバスタオルで拭いてあげたりしたい。
今週はバレンタインウィークなので、チョコを持って行って、一枚は渡して、もう一枚で「ずっと前から好きでした!」ごっこをしてもらおうと画策中。
たいして面白くないね。元気ですよ、という話でした。
あたしたちのちんぽが入らない(夫のちんぽが入らない感想)
「夫のちんぽが入らない」読み終わりました。
ネタバレとは書いたものの、ぜひ読んで欲しい作品なので、詳しい話は端折って感想だけ書いていくことにします。
まず、はじめに読んだ文章はこうじゃなかった気がする!
いつ読んだのかも覚えてないけど、「ちんぽ」の音の小気味良さとは裏腹に、物語は淡々と(陰鬱と)進んでいきます。
自分語り、かなり、えぐってきます。
思い返すと、あたしたちが過去にネットで読んだ文章とは同じだったかもしれない。
「ちんぽが入らない問題」という、ともすれば明るい下ネタで終わってしまいそうなテーマが、「自分自身の葛藤」「相手の性欲」「世間への後ろめたさ」などなど、切実に思いつめていくので、当たり前なんだけど「夫のちんぽが入らない一人の女性」をありありと描いていきます。
「ちんぽが入らない人(笑)」が、人間の様相を帯びるのです。
あと、これはあたしたちが350人くらいとセックスしてるのが悪いのかもしれはいけど、「この人のちんぽ絶対入らないな〜絶対大怪我する」みたいな腕ちんぽってたしかにいる。けっこうな確率で腕ちんぽはいるから、腕ちんぽで泣いてるって人、けっこういると思うのよね!
でも安心?して欲しいのが、素人まんこに入らないちんぽは、商売まんこにだって入るとは限らないのよ。
あたしたちが風俗嬢だった頃に何度か腕ちんぽに遭遇して「商売女だから挿れさせて(入って当然だろ)」って男はいたけど、商売道具だからこそ、壊すわけにはいかないのよ。
だからね、夫が風俗には行ってもね、それは「ちんぽが入らない」こととは関係ないから!
あんたに飽きただけ!
あんたに魅力がないだけ!
素人のフェラチオと手コキよりも
商売女の方が場数踏んでるだけ気持ちいいわよ!
そして、おそらくそれ以上にあたしたちがビビったのは、作品の登場人物の持つ「人のぬくもり」です。(暗転!)
わかる、わかるよ。。あたしたち、そういう人たちが嫌いで東京に出てきたんだもの。
「あたしたちは愛されて生きてこなかった」と声を大にして言えるのなんて、本当にごく一部で、愛されるとは何のことなのかわからない人、愛されているはずなのになぜ自分は応えられないのだろうと自分を責める人、自分よりも愛されてない人がいるからと遠慮してしまう人、そういう人が大半なんだと思います。
善意や思いやりで人は傷つき、蝕まれていくのも、わからない人にはわからないでしょう。
疲れる、という言い方をよくするわよね。
「恩義に報いる資格がない」ような言い方も。
愛されることと幸せを感じることはイコールではなく、愛情・慈愛の概念があるから、目に見えないことを不安に思うあたしたちは、それに耐えきれずに自壊していく。
どんなに半径1km圏内の世界を丸く穏やかにしたくてもさ。善行の波は、岩を侵食して崖を崩すし、善行の風が吹いたら桶屋が儲かるというワケ。
現実というのは、救われないものですわね。
恥ずかしくて、みっともなくて、口の中の臭いがする。
でも、普通に生きてたら「いつ死んだっていい」と思うことがあっても「死んでやろう」とは思わない。
これはあたしたち個人の持論だけどね。
「死んでやろう」って思った時のことは、忘れちゃいけない。
優しくなくたっていいのよ。
善行なんて見せつけてやるもんじゃないし、
愛情なんて感じなくていい、ちんぽだって入らなくていいのよ。
そんなのは瑣末な問題で、それに一喜一憂したらキリがない。
人間は生まれてから死ぬまで、右肩下がりの下り坂を一直線に転げ落ちていきます。
なだらかな下り坂の途中「切れそうになった」時に、どう生きるか、どう生かすか、ですよ。
一緒に死んだっていい。それもいいけど、普通にしてたら「死のう」なんてそうそう思わない。
その「普通」と「非常事態」の線引きはしておかないと、いざという時にこの世界には誰もいなくなってしまうわよね。
助けてくれる人もいなければ、助けてあげられる人もいない。
善行の風が吹いて、自分はその風に吹き飛ばされて上も下もなくなるまでになったら、べちゃり!!
あたしたちの胃腸むしろピザ
また風邪をひきました。
そもそも、1月の5〜8日くらいから気持ち悪くて、煙草を吸うとウゲェ〜〜、歯磨きするとウゲェ〜〜、と頻繁に戻していたんです。
9日、初詣を兼ねて七福神巡りをして、17時くらいに終わり、居酒屋で一杯。
牡蠣酢というものをいただきましてね。美味しいの、これ。
生牡蠣よりもむしろ好き。
だって、生牡蠣って結局レモン汁つけてすっぱくしちゃうし。
そのあと、なんか飲み足りないなと思って、鳥貴族で唐揚げをビールで流し込んで。
その夜、嘔吐。アンド、下痢。
良くないことなんだけど、別に珍しいものでもないと思って、その時はぐっすり寝たんですのよ。
次の日は、若干体調がよろしくないまでも、まぁ普通。平常運転。
その次の朝ですよ。
起きたらね、咳が止まらず、喉も痛いと。
はて?風邪かしら、と思いましてね。
お腹の調子は戻ってるし、耳鼻科で診てもらうと、喉が腫れてますわね、と。
(今思うとこの時に胃腸についても聞けばよかったんだわね)
で、風邪っぴきということで、養生しようと、スポーツドリンクと、お腹が空いてたので、トンカツ弁当。
その後、嘔吐アンド下痢(´-`)あらあらあらあら。
まさかこれは、風邪で胃腸が弱ってるのではなかろうか。
とはいえ、その時点では喉の辛さが際立っていたものですから、ふて寝。
体調が悪いと嘘みたいにぐっすり眠れるものなのね。
んで、次の日も嘔吐アンド下痢(´-`)あらあらあらあら。
もう、こんなだったらお母さんご飯食べさせないよ!と憤慨しまして、
野菜ジュースとか飲んで過ごしたわけ。
土曜になってもよろしくならない。
ピザが食べたくて仕方がない。
いよいよもって「これはあたし、胃腸やられてんな」と気づくわけです。
それが金曜のことですかね。月曜の深夜(暦の上では火曜日)とすれば、4日目にして気づくのよ。
ヨーグルトとか、プリンとか、スープとか、今更ながらの療養食に切り替えました。
んで、日曜日。
あたしたちとしてはピザが食べたくて食べたくて仕方がないんだけど、
肉体的には、ピザ来たらちょっとまたいっちゃうんじゃない?ってことで、
適当に柔らかそうなものを見繕ってモグモグ食べています。
ネットで調べると、ウイルス性の胃腸炎でも喉が痛かったり咳をしたり、発熱したりするらしいということで、多分それ。
ピザが食べたくて仕方がない。
あたしたちのモットーとしては「その時に食べたいものが、今一番身体に必要なもの」という美学をもって生きてるんだけど、
ピザは明らかに違う、あんたの受け入れ態勢は整ってない。
でもこれって、朝起きて劇的に解消するようなものなんだろうかね。
お腹はすげぇ空いてるのよ。
骨つき肉にしゃぶりつきたいし、お寿司も、唐揚げも、ピザも、超食べたい。
でも多分そうじゃない、正解はそこじゃない、っていう、ジレンマ。
ピザが食べたいよ。。