あたしたちの誘拐

ついこの間お友達と話した内容で、これは私自身もちゃんとものを考えなきゃ、と思って改めてブログにまとめる。

最近発見された誘拐事件について。
(詳細は省きます。その事件固有の話ではないので。)

あたしたちは、多感なティーン時代を過ごした人生の先輩として、事件に巻き込まれる少年少女に対して、穿った見方をしてしまう。

かくいう私も家出経験者。
上京したのだって、合法的な家出みたいなものだったし、実家がとにかく嫌い。苦手。
帰省しても何にもすることないし、話すこともない。いつも結果報告だけ。事前に相談とか、悩みとか親に打ち明けたことはないわね。。

自分の若い身体が、ただその若いというだけで商品として提供できることを知ってれば、その市場に身体を提供してしまう「興味」はあった。少なくとも私は、その興味をきっかけにそれで生活していた時期があった。

まぁ、今回はほんとにただの誘拐監禁だから、脱線したわ。

とにもかくにも、私たちは赤の他人の気軽さで、好き勝手なことを言いすぎてしまう。

抵抗すればよかったじゃないか。
必死になれば逃げられたはずだ。
女もその気だったんじゃないか。
本気になって助けを求めたのか。

まるで悪者のセリフ!
必死になって殺されてしまったとして、あんたがその責任を取れるのか。

あたしたちは、多感なティーン時代を過ごした「当事者」として、こういった事件にはとかく「100:0で悪いわけじゃない」と思うことがある。
でも30歳の大人として、社会を構成する一員として、全く別の目線(持っていなければいけない目線)を持てば「100:0で加害者が悪い」のだ。

犯罪者の顔って、すごい怖いのよ。
蝋人形のガラス玉みたいなのに、人間の熱を帯びていて、正気も失っている。
犯罪を実行することって、およそ「死ぬ気で」「本気で」「必死で」やってくるわけだから、
大の大男でも、脅されて車に詰め込まれることなんて簡単なのよ。

その機会がないだけで。

犯罪者に出会う機会がないのと、犯罪者に勝てるのは全く別だからね。

必死で私を殺そうとしてくる人に対して、その何倍も必死で戦わないと勝てないし、私がもしそういう機会にあたってしまったら、絶対殺されるまで服従してしまうと思う。

人は本来であれば強い生き物だけど、それは相手も同じ。

自戒の意味も込めて、赤の他人の気軽さで物を言うのはやめないといけないな、と思ったトークテーマでした。