あたしたちの思ひ出

あなたはすぐに写真を撮りたがる
あたしはいつもそれを嫌がるの
だって写真になっちゃえば
それすら嘘になるじゃない?


と歌うように、あたしたちの暮らしと写真、そして思い出というものは密接に関わりあっています。
小さな頃の写真を見たりなんかして、色んな思い出を呼び起こすことでしょう。
楽しい体験を思い出したり、時にはセンチメンタルになったり、罪の意識に苛まれたりもすることでしょう。

インターネットの発展、写真技術のデジタル化に伴いあたしたちの生活は今「いつ何時でも撮りたいものを撮り、その場に記録をする」ということができるようになりました。

あまり好きな言葉ではないですが「記録に残ることよりも記憶に残るものが大事」という言葉があります。
ほんとにこの言葉は好きじゃなくて、どちらかと言うとこういう表現方法は嫌いです。誰目線だっつうの!

でも、その言葉があたしたちの生活の中に隠れているものを照らすこともまた事実だと思うのです。

この人と会った、何をして遊んだ、何人で集まった、こんなことをした、マジ楽しい。

そんなことを、あたしたちは簡単に記録することができるようになりました。
一枚のスナップ写真をトリガーにして、いつでも好きな思い出を取り出せます。

冷蔵庫に入れたチョコレートをつまむように、思い出を取り出して食べることができるのです。いつでも新鮮な味で、適温で保存されています。

しかし、その取り出した思い出は甘美なものです。
そこに至るまでの苦悩や、充足感、それはその時にしか味わうことができません。
全てを思い出すことなどできるのでしょうか?
チョコレートを食べること、思い出を
作ることよりも、いつでもチョコレートが食べられる環境、思い出を記録することが目的になっていませんか。

いつでも昔の記録が取り出せてしまうということは、記憶の放棄にも似ています。

今を生きるあたしたちは、過去に戻ったり未来を予見することはできません。
しかし、写真を撮り記録が残ることで、今この瞬間は切り取られた過去に変わってしまいます。

あたしたちのハッピーライフにとって大切なのは、口の中でとろけるチョコレートの味であり、匂いであり、それを手にするまでに至った苦労だと思っています。

見栄やマウンティングでは決してないのです。

あたしたちが生きる今は、生きづらくとても苦しいものです。
誰かと会えば喧嘩もするし、飲み会でトラブルに巻き込まれることもあるでしょう。
飲み過ぎれば頭痛がするし、食べ過ぎれば吐き気がする。うっかり人を傷つけてしまうことや、長い沈黙に気まずい思いをする。

そんなほろ苦い思い出すら、記録に残れば「マジ楽しい」になってしまう。

そして楽しい思い出にすがり、現在を省みないのは、孤独であると思うのです。

写真を撮るよりも、今目の前にある世界を楽しんだほうがいい。
辛くても苦労しても、今の景色を目に焼き付けたほうがいい。
どうせすぐになくなってしまうのだから。

写真に残る非日常は、本来であれば日常と地続きなものです。
楽しみにしてる旅行のために仕事をがんばって早く終わらせたり、準備にバタバタと忙しなく動いたり、帰ってくれば荷ほどきをして、疲れた体を休めて「やっぱり家の布団が一番いい」なんて思ったり、満足感を反芻して幸せな気分に浸ったり。

それも全て、写真に収めることはできないのです。匂いや味、心の中は写真では残らない。
薄れていくものは、今そのことに集中してしまうとあっという間になくなってしまう。

写真撮るの、そんなに楽しい?
貴方が写真撮ってるその瞬間に、世界は貴方を過去にしようとしてるのよ。
全力で生きなきゃ貴方もすぐ過去になっちゃうよ!
っつってビンタしたいけど、記念写真には割と本気顔で映るあたしたちです。