あたしたちで構成されるあたしたち

あたしたちは、素直に生きたいと思っている。
何もかも晒け出す開けっぴろげな愚直さではなくて、自分の嫌な感情も楽しんで乗りこなしちゃうような素直さ。

白のTシャツとブルージーンズで、サマになるのに特別足が長くなかったり大して顔がかっこよくなかったり。
そういう素直さ。

窮屈な自分をいくら脱いでも、玉ねぎみたいに出てくるのはいつも同じような自分だけ。脱げてさえいないのかもしれない。
どんなに不愉快でも、自分自身を辞めることも、誰かに成り代わることもできない。
自己嫌悪と自己陶酔を繰り返して、ぶくぶくと肥え太るだけ。

重ね着した自分は、どこまで行っても服を着た自分でしかない。
覚えた言葉以外は使えないように、あたしたちの話す言葉は、他人から覚えた模倣に過ぎない。

誰かから聞いた話を鵜呑みにして、それを当然のように話して、それが自分意見だなんて言うのよ?
本当はただその言葉を知ってて、他人の真似をして話しているだけだというのに。

自分のことなんて何にも知らない。
何一つ持っていないのに、自分を構成しているのは、他人を模倣した自分の寄せ集めだとしたら、そんな気色の悪い話はないわ。
知識も教養も全て、他人からの貰い物に過ぎない。
あたしたちは巨大なものを、共有して誤解し合ってるに過ぎないのよ。

だからあたしたちは素直にならないと、素直になる狡猾さがないと、うまく生きてなんていかれない。