虚構のあたしたち
この話は散々してるような気がする。。
とあるツイッターで困っている人がいました。
自分のことを名指しで
「○○は嘘つき!」「○○ 嘘でツイート検索しても引っかからない!啓蒙活動が足りない!」「日本三大嘘つき ○○」とか、
さんざっぱら嘘つきだという悪口を書かれていたというのです。
まぁ、粘着質な人に絡まれたのであれば、まだわかる(わかんないけど、)のですが、
実はその人は他の人もフォローしてたりリプライしている「人間」だということが判明しました。
誰とも知らない人から罵倒されるならまだいいとして、自分のフォロワーと仲良くリプライ飛ばすような人間がなぜ自分にだけ悪口を?
という、ちょっと気味の悪い話です。
とはまた別の話をするんですけど。
嘘ってなんなんでしょう?
ありのままを話さないこと?
ありもしないことを話すこと?
事実かのように文章を創作すること?
ほらふき、とも言いますね。
羊飼いの少年は、狼が出たと騒いで大人たちを困らせましたが、結局本当に狼が来ても誰からもとりあってもらえず、羊は狼に食べられてしまうし、自身の貞操も奪われ、狼に連れ去られ狼として生きることを余儀なくされたのでした。
でもね。
他人なんてぜーーんぶ嘘よ。
だって、わかんないじゃん。
昨日どこそこで西島秀俊を見かけた!
とか、
今日のご飯はトンカツ食べた!
とか
恋人ができた!
とか、
内定取れた!
とか、
嘘かもしれないじゃん。
その嘘かもしれない情報が、誰にとってもなんのメリットになりえないから、真実として、もしくは真実だろうという情報として、納得をするわけであって。
いますよね?
今日はロブションでご飯してきたーとか言って、ネットの拾い画像あげる人とか、
イケメンだと思って追い越したらブスだったから肋骨に腕入れてエリンギみたいに裂いてやったとか、
嘘だけどさ。
創作話だけど、それってもはや「コンテンツ」じゃない。
ありもしない話をするのが一種のお笑いネタというか。
有害じゃなければ、何やったっていいんじゃないの、と思います。
だって他人の人生なんて知らないし、追体験することはできないんだもの。
白黒つけることができるほうが不気味よ。
とかくツイッターはリツイート/ふぁぼを稼ぐコンテンツとして思っている人が多かれ少なかれいて、
パクツイ(全く同じツイートをすること)だって、それを悪意なくやってる人だっているものなんだから。
そんな世の中で(ネット社会に限らず、現実社会でも)
この人が言うことは嘘くさいなーとか、感じるほうが、わざわざめんどくさいわよね。
自分の記憶だって曖昧なのに、他人なんてみんな虚構だっていう話よ。
自分というフィルターを通して他人の情報を得るけど、その情報からして他人のフィルターを通っているわけで、
真実の話ばかり流れていてそこに嘘や誇張が全くないのだとしたら、伝達する機械でしかないと思うの。
あたしたちはこれからも嘘、創作、を続けていきますよ。
だってそれが「面白コンテンツ」なんだもの。
コンテンツだから何してもいいという話では全然ないけれど、
コンテンツをコンテンツとして楽しむ余裕は常に持っていたいものです。