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あたしたちのTokyo

吐いてまた自分をはじめるだけ

転職活動について、あたしたちなりの攻略法を書こうと思うのだけれど、まだ転職成功という実感がわからないので巷のニュース記事に噛み付いて茶を濁す。

 

地方のLGBTが東京で受けた「写真撮影」というカルチャーショック

http://m.huffpost.com/jp/entry/10873254?

 

そうそう〜〜東京の人ってよく写真を撮るわ。

なんでこんなに写真撮るの?SNSに写真あげて何か実りがあるの?って疑いたくなるくらい。

 

でも、たまたま写真に写り込んでしまったことでアウティング、って

よっぽど奇跡みたいな可能性じゃないと起こり得ないし、その可能性を考えてしまうのは地方に住んでる人独特の考えだとあたしたちは思ってるわ。

 

だって、たかだか写真を撮られて載せられたって、フォロワーの数百人の目に止まる可能性があるだけだし、その中に自分のことをノンケだと思ってる人って何人いると思うの?

 

そんなに映りたくないなら、布袋でも被って生きた方が全然マシだし、仮に布袋を被って参加したとして、そこにプライドなんていうのはあるのかね。

 

個人的には布袋を被せられるようなプレイが好きだけど、世の中には色々な人がいて、その人たちは当然人間として生きているのよ、と訴えてる会合に「私を同性愛者だとバラさないで」というのを持ち出したところで、じゃあ誰があなたを同性愛者だとバラすの?隠さなければバラされるのも怖くないじゃない?あなたはそこまで興味を持たれるような人間なの?

 

規模感とでもいうのかもしれない。

東京は毎日毎日、満員電車が走っているし、すれ違った人の顔なんて覚えてない。

レストランは開店早々に埋まるし、長蛇の列もすぐにできれば、地下道は混雑で自分のペースで歩けない。

 

でもその中の誰もが「知らない人」であるという規模感よ。

知り合いと偶然街中で会うかもしれない、実はこの人とは毎朝同じ電車に乗ってるかもしれない。

そういう可能性はゼロではないけど、だからと言って話しかけて世間話をするでもなければ、もちろん恋に発展することもない。

 

東京の人、からしたら「人がたくさん集まっている」というのは、「人だかり1つ」という感覚なんだけれど、

そうじゃないところの人は「1人が何百人もいる」ように見える。

 

もちろん、人だかりが1つも1人が何百人も、そこにあるものは同じなわけよ。受け取り方の問題?

 

満員電車の中で「この人たちにはもちろん産んでくれた親がいて、道を説いてくれた先生がいて、切ない気持ちになった恋の相手もいれば、大嫌いな相手もいる」のは、それはそうなんだけど、

それも全て「満員電車の人たち」の中の1人だから、プレッシャーにならない。

 

自分がいれば、他のことはあんまり関係ない。

それが腹に落ちないと、人は東京に来て「人混みは疲れる」と思うのかもしれないわね。