あたしたちは生きてはいけない人

超ぶっちゃけると、周りにそういう意見の持ってる人が多くいました。

「○○の人って生きててもしょうがないんだから死んじゃえばいいのにね」という話を聞いたことがない、と言えば嘘になります。

 

衝撃的な事件でしかない、と思う人がいるかもしれません。

言いたいことはわかるけど、実行に移すのは良くないよ、と濁す人もいるかもしれません。

 

でもそれは、人間が人間を剪定するという愚かな行為です。

でも、それがどうして愚かなのか、わからないっていう人、正直に言えばいるでしょう??

 

だって、あたしたちは常に何かを選んで、何かしら選ばれて生きているわけですよ。

選ばれなければ淘汰されるのが自然の摂理、と思うかもしれません。

腐らせるものは腐らせ、焼くものは焼く、という考え方です。

 

優れているものだけを生かすことは簡単なことだと思っています。

でもどんなに優れていたって、いつかは人は劣った存在になってしまいます。そうしたら、その基準自体が曖昧なものになってしまうでしょう?

 

今は健康なあたしたちだって、歳を取れば容姿は衰え、動きが鈍くなり、機能を果たせなくなってしまいます。

いつ何時、思わぬ事故に遭遇するかもしれません。

 

そもそもあたしたちは優れているのでしょうか。

優れていることだけが、存在意義なのでしょうか。

優れていることは、誇らしいことでしょうか。

 

自分より知識のある人なんてごまんといる、話が上手な人、手先が器用な人、スポーツができる人、声が大きい人、歌うことがうまい人、あげていけばキリがないです。

逆に言えば、自分より劣っている人を探して嘲笑することは簡単です。

 

あいつは劣っているからあーだこーだなんて言っている人は、そのうち自分も剪定される枝となってしまうのです。

次に剪定される枝は、あなたよ。

 

あなたは生きていてもしょうがないのよ。

あなたが生きていることは迷惑なのよ。

 

 

文化を持ち共同体の一員として生きている中で、そんな組織は強いと言えるでしょうか。

私はそうではないと思うし、それが強さではあって欲しくないと思います。

 

そうなってしまえば、最後の1人になるまで優劣をつけ続けるだけになってしまうし、

仮に、社会的弱者を切り捨てることでしか、その強さを維持できないとすれば、そんな劣った組織は、淘汰されてしまえばいいのです。

 

言いたいことがわからないわけではないのよ。脅すつもりもない。

でも一緒に生きていくというのはそうではなくて、

誰かに必要とされるから生きているわけでも、誰かと支え合ってるから生きてるわけでもないのよ。

 

なんというか、、生まれてきたということは、死ぬまで、それを保障されていることが幸福であるという、それだけを頼りにあたしたちは生きてるのかもしれないわね。

 

少なくとも私は、誰かに必要とされるから生きているわけではないし、生きてはいけない人でないから生きてるわけじゃない。

 

そうねえ。。

強いて言えば、生まれてきたということはいつか死ぬことまでが普通であって、それを途中で変えてしまうことは不自然なのよ。

 

 

なんでそう言われたのかも覚えてないけど、昔「お前は生きていてはいけない人」と言われた記憶がある。

その時は、あんたに言われなくたってあたしは生きていてはいけない人だよ、って思ってたんだけど。

 

なんだろうねえ。。

やっぱり「言いたいことはわかるんだけどねえ」って言えてしまう人がいるということは、本当に本当に不幸なことなんだな、っていうことを、思っています。

 

 

 

「日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。」「今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。」
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