百獣の王たれ!あたしたち!

芸能人にはなりたくないけど、「一線を超えましたか?」っていうのは、一度聞かれてみたいわ。

 

「女は誰とでも一線を超えられるものよ。

女がそれを望むのなら、誰とでもね。」

 

って微笑みながらリムジンに乗り込んで、後部座席で待ってる男性とkissしたい。

 

 

なんかさ、別に、世の中の不倫とか(もはや社会問題みたいな位置にいるよね、あいつ!いいじゃん、同じ異性愛者なんだから仲良くすれば!カーーーッペッペッ)

貞操観念とか、婚活とか、恋活とか、もう全然遠いところに生きてるんですけど、あたしたち。

 

誰かと付き合うとか、結婚(結婚って言った?!)とか、もう世の中の価値観が理解できない。

 

でもさ。

すっっっげーー最近思うんだけど、

なんで「恋愛したい」「結婚したい」のは自分なのに、

「モテたい」「愛されたい」「大事にされたい」「遊ばれたくない」「捨てられたくない」って思うの?

 

つまりさ、それって

「はじめて降りた駅でランチをしたいけど、その土地でしか食べられない、でも絶対美味しい店」みたいな、

すごい悪条件/高待遇でご飯屋探すようなもんよ。

そりゃみんな学生結婚、社内恋愛するわよ。

なんなら営業2課全員と寝たうえで3課に入ってきた期待の中途と結婚するわよ。

 

で、ランチの話に戻るけど、美味しくなかったら「あーハズレだった、行かなきゃよかった」って思うの?

自分が食べたくて入った店ならそれで良くない?

あんたは食われたんじゃない、食ったの!

そこそこのコスパで、ハンバーグにゴロ切りしたハツが入ってるような店を選んで、自分で口に運んだのよ。

もちろん、ゴロ切りのハツ入りハンバーグの方もあんたのことを「食った」って思うかもしれない。

でもそれは重要じゃない。あたしたちが選んで食ってんのよ。

 

なんだろ、例えば最近思うのがさ。

「〜〜な女が本物、〜〜な女は遊ばれるだけ」って中に

「あたしはち・が・う・け・ど?」が含まれる言い方があるじゃない?

 

それっていうのは、カリスマぶりたいとかもあるかもしれないけど、自分の見聞きしたもしくは経験した数少ない成功例と比較した上で、

(自分がこうだったらいいな)がふんだんに入ってるのよね。

 

遊ばれてもセックスしてお互いいい思いしたらそれでよくない?

ちんぽが良くなかったらさっさとご馳走さましたらいいじゃん。

下手だったら教えてあげて。あんたがセックスを仕込まなかった男が世の中にのさばるから、愛撫もろくにできない病気が蔓延するのよ。

 

まだ遊ばれてもない選ばれてもない、なんなら毎朝コンビニで顔合わせる女と、女の価値はどっこいどっこいみたいな中間地点で、

「選ばれたい」「遊ばれたくない」って足掻く女のがみっともなくない?

 

みんな、市井の女がチヤホヤしてくれるレベルの「イイ男」に「選ばれたい」のよ。百獣の王になりたいの。

でも百獣の王になったところで、仮に一生愛されでもしたら、どうするの?

なれるかどうかもわからない百獣の王になるより、王子様を待つ豚でいるほうが100倍マシ。

 

市井の女が羨むイイ男を「よく喋るちんぽねぇ」って思って、ほいほいセックスするのでもよくない?

逆にそっちの方が百獣の王だったりしない?

百獣の王って孤独なものじゃない? 

てゆか、頭のどこかで「あれまぁ、よく喋るちんぽだこと」って思ってた方が肩の力が抜けて良い関係になれると思わない?

 

あたしたちが最近思うんだけも、

「舐めたくないちんぽを舐める時、あたしたちは既に舐めたくて舐めてる」のよ。

嫌々でもなんでも、もう自分で手に取ったものは自分の責任なのよ。

たまには好きでもない男とセックスするのもいいものよ。意外な発見があったり、自分が求めるものが見えたりするし。

 

とにかく百獣の王たるには「好かれたい」「嫌われたくない」めいた妄想を克服するべきだわ。

「好き」なのも「嫌い」なのもあたしたち自身で選んで決めることなのよ。

 

なんでも受け身でいたって楽しくない。

大好物だって、牢屋の中で決まった週決まった曜日で出されるより、

色々食べ歩いて「これも好きかも」「あれも美味しかった」って思えた方が得じゃない?

 

男は食うもの!