あたしたちは取り扱い注意

ドラマの感想やらネタバレやらを書いては中断し、書いては中断し、でもう感想もネタバレもなくなってしまった。

 

喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうのかしらね。

 

2016年はヤバイ一年だったけど、2017年復調してからまた違うヤバさがあった。

きっと2015年も、2005年もヤバかったんだろうと思う。

あたしたちの人生、ヤバい。15、16、17と、あたしたちの人生ヤバかった。

 

もう今更だけどね、気づいたの。

世の中「倫理観」みたいなものに、あたしたちはコントロールされ過ぎていて、それなのに抑圧されなさすぎる。

良い塩梅で落としどころを見つけて、腑に落ちるように生きてる。

 

いくら、法律では正しい方法でも、人が人を殺すようなことはよくないとか。

好きでもない相手とセックスをしたら、きっとどっちかは(浅かれ深かれ)傷ついてしまう。

薬だって飲めば代謝を損うし、アルコールを飲むと気持ちが不安定になる。

良いところもあれば、悪いところもあるってことね。

 

んであたしたちは、その倫理観が怖くて、きっと人を傷つけることに臆病になっているのかもしれないの。

 そのバランス感覚はきっといいことなんだろうけどね。

 

人様の視線が気になって仕方ないこととかさ。

 

毎日毎日、あたしたちはなんてあんなことを言ってしまったのだろうやってしまったのだろうと後悔をして、

自分がやることなすことが正しくないと気が済まない。

 

とても窮屈な人間になってしまったのは(そしておそらくこれは今年2017年に突然人が変わったわけではなく)

人間一帯が持つ「倫理観」みたいなものが、人間そのものに染み付いてしまって怖いんだと思う。

人間の匂いがするのも嫌い。自分から人間の匂いがするのも。ずっといい香りでいたい。

その方がずっと人間っぽいっていう、不自然さこそが人間らしさよ。

 

スリッスリに磨り減ってしまって、今のあたしたちは角が取れたまんまるのお星様なんだけど、
まんまるになりたかったのに、もう今はそのまんまるさも許せない。

 

寂しいと感じる感情の自由さとか、

誰かを支配したいっていう真っ当な欲とか、

あたしたち自身がもっと知ろうとしなければ、あたしたちが退屈な存在になってしまう。

知る必要がないと思ってたけど、それを知らないとあたしたちはこの倫理観を保てないよね。

 

 

衝動をコントロールするんではなく、

もっと激しい感情でもって、自分で踏み荒らしていかないといけないのかも。

いびつさ。

 

 そんなことを考えてたら、11月に自分がツイートした内容を思い出して探してみた。

 

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 「倫理観」って自分の尺度を持たないと良くないと思う。

世間一般的にはこういう倫理観は良しとされる良しとされないとかっていうその倫理観以前に、

その場にいるのは他でもない私なんだからさ。

いきなり乳首に歯を立てる男はGo Away

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自分で何が正しいのかを考えて、自分の言葉で表現できるようになってから「倫理観」とやらを持ち出せ、のようなことを言っている。

 

あたしたちはきっと器用なんだと思うし、器用でいれる限界値があるんだろうと思うのよ。

 

この衝動を論理で説き伏せず、声を上げて泣き喚いたり、

逆に、欲しいと思ったものを力尽くで奪い取らず、指を咥えて眺めて見たりね。

 

ということで2017年の目標は、なかなか達成できないでいる「寂しさを知る」ことにしようかしらね。