あたしたちの浜崎あゆみ

浜崎あゆみ賞賛するブログを見て、
久しぶりに聞こうと思ってプレイリストを流すと、なんかやたらめったらに「これじゃない」曲にあたるのってなんでなのかしら。

多分、その「これじゃない」感が募っていって、聞かなくなったんだろうけど。
とはいえ、なにかと頭に浮かぶフレーズは必ずあるんだよね。
昨日までUNITEのサビの前(夜明けごろ突然。。)が頭の中に鳴り響いて仕方なかったし。

不思議だわ。

当時は、ギャルギャルしいルックスと、
透明感のある高くて不安定な声と、
歌詞に表現される「共有しやすい、されやすい感情」がウケてたわけよ。

大別して、
キラキラしたルックス側の人間は、恋愛目線で歌詞を紐解いていて、
歌詞の中身(チープな言い方だこと。)に重きを置く文系タイプのあたしたちは、どちらかっていうと死生観とか諦念感とかに思いを馳せていたように思う。

大人になった今更、改めて聞いたら、身につまされる所はあっても「いや、でもあたしたちもう大人じゃん」って思っちゃって、当時ほどのめり込めない。

子どもだったから世界はあんな風に見えていたんだなと。今大人になってから見る世界過ごしてる世界とはかけ離れ過ぎてる。

夢の大きさ、妄想の深さ、自分の小ささ、愚かさ、そういう思春期特有ともいえる世界観が、大人になるとスッパリなくなる。
夢がなくなるとか、愚かじゃなくなるわけじゃないけど、もっとわかりやすくなるよね?そうよね?あたしたちの世界って、わかりやすいことのほうが多くない?


浜崎あゆみが大好きだった、田舎育ちでメンタルぐちゃぐちゃのあたしに、今のあたしたちはなんて声をかけるんだろう?

十中八九、鼻で笑うわ。
だって可笑しいんだもの。
プークスクスしちゃうわ。

それは置いといて、きっと10年後も20年後も
「昔って変だったわ」って思うのでしょうな。

浜崎あゆみの曲が(もう既に過去のものとされているけど)正真正銘の懐メロになって、その頃にあたしたちには「浜崎あゆみ」が何に見えてるのかしら。
過去の、今の「浜崎あゆみ」を通してあたしたちが見てるものって、あたしたちそのものなのかもしれないわ。大袈裟。