あたしたちには物の道理がわからない。

あたしたちがまだSo Youngだった時から、物事を知らないということは結構なコンプレックスだった。

 

いわゆる、一般的な人生の歩み方をしてこなかったわけだし、仕組みもわからず恥ずかしい思いもたくさんしてきた。

具体的には、マルイで買い物をしたら「クレジットカード作りませんか?」って言われてノコノコ手続きに行くと1時間くらい待たされて審査落ちとか、シャチハタはスタンプだからハンコじゃないとかね。

今はまさにハンコを扱う仕事をしてるけど、今の上司は毎回「シャチハタじゃだめだから!」と教えてくれる。私が恥ずかしい思いをしないように、何も知らない前提で話してくれるから、気持ちのいい人だ。でもこの間、そんな彼女も、引越侍に金額感だけ知ろうと登録したら電話が鳴り止まない!とご立腹していた。

人間みんなそうやって「知らないことは知らなくて当然なのだ、だって知らないんだもの」「無知を克服するには、知ろうとすることだ」と思って生きてこられたら、どんなにスムーズだったかと思うよね。

だから私も、教えてくれる人には丁寧に接するようにしている。彼ら彼女らからしたらマニュアルに書いていることを説明してくれているに過ぎなくても(そしてその説明は、後の厄介事を回避するためだとしても)

「ご親切に教えてくれてありがとうございます」と答えれば、あちらも不快な気持ちはしないだろう。

 

 

今になってそんなことを突然思うのは、学ぶ機会や時間がたくさんあったのに、残念ながら逃してきたからかもしれない。

私には、それよりも「手っ取り早く金になる知識」を得る必要があった。オフィスソフトの使い方がわからないから、貯めたお金を使ってパソコンスクールに行ってみたり、簿記の勉強をしたり、仕事で実務で学べることは色んなものに足を突っ込んだ。(いくつかは、早々に諦める羽目になったのだけれど。)

そう思うと、そのパソコンスクールに行った20万で、ブランド物のバッグを買うような人間ではなかったのは、まだ「自分の置かれた状況の悲惨さ(※どの程度悲惨かは人によると思います。私は客商売ができなかったから。)」がわかっている方だったのかもしれない。

別にブランド物のバッグを買うことが悪いことでもなくって、自分には必要じゃないっていう気づきを、早々に得てしまったのよね。物を大切にできない人だし、全身に名前のある服を着てても、百貨店の雰囲気は、ハタチそこそこで泡銭もったあたしたちには、なんだか抵抗があった。当時はネット通販も活発ではなかったし。

そうそう、百貨店はデパートではなくスーパーなんだと思う。どこかに存在するお金持ちが、ここならなんでも売ってるから、と高額な日用品をぽいっと買いに行くところ。だから、どこかのお金持ちが欲しいもの以外は置いてないのだ。このあいだ、冬場に折りたたみ傘を買いに行って、どうせなら日傘にもなる遮光つきのものがいい、と聞いてみたら、この季節にはそんなものあまり多くない、と嗜められてしまった。じゃあ、百貨店じゃなくて八十貸店ね、ふふ、と思いながら、なんだか大切に扱わないといけないような傘を買った。

良い買い物をしたけど、日傘が必要になる今は、ばっ!ばさっ!じゃきっ!みたいな、使い勝手の良い千円の日傘を重宝して使っている。ディルドを布にしたような最悪な手触りだけど。

 

 

30を過ぎて、どころかもう30代も半ばになり、頭の中にも情報が染み渡らなくなってきた今、わからないことが増えていった。

多分、20代そこらだと素直に「は〜い!」で済んだことも、利益が見出せないものには抵抗感を持ってしまう。なぜ?なんのために?というものが理解できないと、その作業がとんでもない無駄なもののように思えてくるし、そんなことしたくない。つまり、ノせてほしいわけ。パッションあげあげ、バイブスもりもり、エンジェルパワーでGo!!くらいのハイテンションでないと、何にもやる気が起きない。

 

そうしてくうちに、言われたこと・指示されたことよりも、道理がわからないことが気になって、わからない自分が悪いのか?わかるように説明してくれない相手が悪いのか?相手の説明を理解できないのは私の頭が悪いから??と孤立を深めていくし、わからない自分にも、わからせてくれない他人にもイライラしてくる。

そうこうしてるうちにイライラは攻撃欲になって「そんな山の湧き水みたいな上流から指図してきてんじゃねぇよ!」とか思ってしまう。あたしたちだって老害になるのだ。

 

だから脳みそを風呂敷みたいにばさっと全部広げて、自分で組み立てる。どうしたらやる気になるのか、理解したい、納得したい、得られた情報から事実をピックアップして、手順とゴールを一本一本線でつなぐ。

抜けているところを自分の言葉で埋めてみて、しっくりくる姿に仕立てる。だからちょっと理想論だったり、パッション強めだったり、意識高め、主体強め目標高め、なものになる。

 

 

パッションあげあげ、バイブスもりもり、エンジェルパワーでGo!!という人間なのに、どうしてもそういった作業が必要になってしまうのは、費やすリソースが限られてしまっているからかもしれない。

残り少ないAP(シミュレーションゲームによくあるやつ)を、どう配分していくか。APを無尽蔵に生み出すための糧(若い男の子との一夜のロマンス)は、コロナ禍ではなかなか入手できないのでね。

 

だからなんか、最近は「めんどーくささ」が輪をかけてひどくなってきたなーというお話でした。