あたしたちと女しぐさ

適当なこと書いてる時と、頭使ってちゃんと書いてるのとで、後で読み返した時の分かりやすさが全然違う。

ブログ書きが定着するまでの訓練だから!!と自分に言い聞かせるために適当なテンションで適当に長い文章を書きます。

目の前で歩いてる男の子がめっちゃオネェ様でびっくりした。

ほっっそい体にほっっそい黒のパンツ履いて、お尻が弾けそうなくらいパツパツで、プリップリさせて歩いて。

歩き方でその人の性格が出るわよね。
あんなに腰が上に上がるものかよ、と思って。
そりゃ立ちバックもグイグイ腰振れるでしょうよと。

股関節の可動がノンケのそれと違う。

まぁ向こうも「あんなに手が横にふわふわするかよ」って思ってるかもしれないけどね。

階段降りる時にね、あたしたちの手ってふわふわ風に乗らない?
ちょっと横にパタパタ、みたいにならない?体幹が弱いから左右にぶれない?

そういうところが、かわいくない?どう?どうなの?気持ちいい?ねぇ、これ気持ちいいよねぇ??

と追い立てながら、なんで他人の女しぐさが気になるんだろうとね、思いましてね。

やっぱりほら、どうでもいい人のどうでもいいことってほんとにどうでもいいから、何回聞かされても覚えられないのに、見知らぬ人の歩き方ひとつにあたしたちはなぜそんなに敏感なのだろうと。


どんな歩き方してたっていいじゃない。
それで誰かが不幸になるわけじゃない、殺されるわけでもない。

変な歩き方だよ、って指摘するわけでもない。でも歩き方が女っぽいだけで、何をそんなに惹かれてしまうのか。

もちろん、あたしたちが普段から言われてて意識してることだから、っていうのはあると思う。
あんたの笑顔、目が笑ってないよ、って言われると「目が笑ってる顔」を探しちゃう。

そして、女みたいな歩き方をしている人がいると、あたしたちは勝手に共感するんだろうと考える。

プークスクスって笑いながら、頭のどこかであたしたちは「女みたいな歩き方」を笑われてるのよ。

あたしたちは同士だから、女みたいな歩き方を指摘されて意識してるんだけど無意識に「女そのもの」になってしまう同じ存在だから、同じような人がいると共感する。

きっとこの人普段から女っぽいって言われてるんだろうか。
ノンケに「お前とならやれそう」って言われてまんざらでもない顔したりとかね、かわいいじゃん。
かわいくて、共感できて、それってとってもハッピー。

同じ存在であることが、生きていてどれだけ貴重なことか。

だからね、歩き方が女っぽいっていうのは、まるで悪いことみたいに言われるけど、言われてる側からしたら、あたしたちは無意識下のネットワークで深く繋がって共感しあってる。

あんたも、生きてるんだね。

すれ違い追い越すだけのただの人間が、とっておきの何かをくすぐって、その存在がとっておきになる。

女しぐさネットワークの構築である。