あたしたちの規範的な幸せ
東京レインボープライドに行ってきました。
結局、毎年ああでもないこうでもないって言うけど「一年に一度のLGBTのお祭り」っていう認識が、誰も傷つけなくていいんじゃないかしらね。
と、いうわけで今回はLGBTがらみの話題をば。
『同性婚と国民の権利』憲法学者・木村草太さんは指摘する。「本当に困っていることを、きちんと言えばいい」
あたしたちは結婚する見込みも資質もないし、逆に結婚してる人たち個人個人に対して、何も思うところはない(むしろ祝福すらするわ。)んだけど、
結局、結婚に関わる制度っていうのは「繁殖お得キャンペーン」でしかなくて、 そんなものに対してロマンとか思想とか、色んなものを詰め込み過ぎじゃない?
同性間の結婚を認めますか?みたいなバカみたいなアンケートだって
「ヨシコさんを僕にくださいっ!(土下座)」
「許さん、お前なんぞとの結婚は認めんぞっ!(ちゃぶ台ひっくり返す)」
みたいな茶番を、世の中の人たちが今の時代までやり続けてるから、それが尾を引いているのでしょ?
大人が自分の人生をどう決めようが本人の勝手なのではなくって?
ヨシコさんはお父さんの所有物ではないし、もしも結婚相手を否定するなら、その人を選んだヨシコさんに言うべきだし、もっと言えば、そんなまともな男も品定めできないようなお父さん自身の教育方針を反省するべきよね。
大学生が就活して、内定とった時に「息子さんは弊社で面倒を見ます」って人事部長が頭下げに来るようなものだわ。
そういう、固まった粘土みたいなのにツルハシを振るって、結婚は神話でもおとぎ話でも与太話でもない、現実の人間同士が行う契約であるという風にしていかなきゃいけないんだわね、って思ったわけです。
所詮イメージの問題っていうけど、そのイメージが覆らないと形ばかりの制度になるわけじゃない。
もちろん、法制化されてから一般的なイメージが変わっていく例もあるけれどさ。
きっと、ルールとか法律とかじゃなくて、イメージって意外と大事なのよ、っていうのも、大きいのよね。
あたしたち自身が「素敵な人」でいるようにつとめれば、「あの人は素敵な人だから、ゲイである人も素敵な人に違いない」とか「あの人は素敵だから、30代独身彼氏いない歴10年のネコも素敵に違いない」とか、思ってくれるわけよね。
(この素敵というのはなにも、お利口さんというわけではなくてね。)
学生の頃、私がいた高校は治安が悪いことで有名で、空から煙草が降ってくるようなところがあったんだけど。
「悪いことをしたら、全校生徒全員に迷惑がかかる」って教えられてきたのね。
でもそれって「他人とちゃんと向き合って、気に入らないことは何が気に入らないのかを言いなさい。知らないことは知らないと言って、知りたければ教えてもらいなさい。嫌なことをされたら、嫌だと言いなさい。そう言える素直な人は素敵だから、素敵な人になりなさい。 」って言われて育てていたら、反発なんかしなかったと思うのよね。
悪い人っていうのは、どんな属性の人にだっているのよ。
お祭り騒ぎに乗じて、下着一枚で練り歩くような人もいれば、同性愛者の殺人鬼もいる。万引きをする人がいたり、不倫をして他人の家庭を壊す人もいるのよ。
でも、そんなことでいちいち「ゲイだというだけで誤解される」と反応することは、息苦しいだけで、意味を持たないのではないかしら。
(あ、でも参加者にルールができたらしくて、あまりにも肌を露出する格好は控えるように、ということになったみたいよ)
仮に、あたしたちが誰か他人と触れ合う時に、
老人だから、妊婦だから、障害者だから、女子高生だから、朝鮮人だから、韓国人だから、と誤解(レッテル貼り)をして接するわけじゃないじゃない。
だとすれば、誤解を受けることの何が怖いのかしら。
「私は他人にレッテル貼りして、偏見の目で見る生き物です」というのも結構だけど、それはあなた個人の人格がサイテーなだけで、サイテーな人たちと一緒に生きる必要なんかないのよ。
同じように、誤解されると感じることがあるなら、誤解されて不愉快な思いをするのなら、
相手の鼻先に指をつきつけて「殺すぞ」というだけで済むことなのよ?
それができなくて「私は平穏に過ごしたいから、クローゼットでいる。誤解なんてされたくない。」というのなら、それはあなたがあなたの責任で犠牲者となる(犠牲者の顔をする)選択をしたわけで、自分も同じように苦しい思いをしてるから他人にも口を噤んで欲しいというのは、おかしな話よね。口を噤むべきは、声を上げる側ではなく、口を噤むことを良しとした側よ。
だってあたしたち、モテないからってタチに転向したりしないもの!!
王子様を待つ豚でいたほうが全然マシ!
選択ができるということは、とても素敵なことなのよ。
昔の人たちは、その選択もできなかった。
あたしは生まれることもできなかった!!(スカイハイ)
まぁ、そんなことは言っても、あたしたちはここ最近、たっくさんたっっくさんしんどいめにあって。
ぶっちゃけ同性婚とか雲の上の話(注釈。見込みも資質もないため)をしているわけではないんですがね。
自分が悪いところも多分にあるけど、事故に遭わないように外に出ていくことは難しいんだもの。
規範的な幸せを探して、あたしたちにもその権利や可能性があると思って、2016年はがんばってきたけど、なんかもう、無理して砂噛んでまで、幸せでありたくないな、って思うようになったの。
死ななければ不幸でもいいのよ。
どちらにせよ、選択肢があったうえで選べるということは、素晴らしいことよね。