吠えろ、クソオンナ!

2018年が終わる今、あたしたちは未だに、なんとかして普通になろうとしている。

でも、ここでいう普通は最適、あくまでも理想であって、平均ではないのだから。

 

どう考えても奔放な姉として生きていく方が、自由で強く、美しいと思えるのに、あたしたちはついお利口な末っ子、しっかり者の次女でいたくなってしまう。

お利口さんも、しっかり者も、誰かの評価なしには定義付けられないのだから、他人ありきの自己像なんてとっとと噛み殺して、便所に流してしまえばいい。

それでもあたしたちは「お利口さんだね」「しっかり者だね」と、胸の奥底で大人たちに言われたくなってしまう。もはや洗脳よね。

 

あたしたちも、ブス業界には明るいから「ちょうどいいブス」「笑えるブス」「イジれるブス」みたいなことはもちろんあるのよ。

でもそれって、誰かにそうなりなさいって教えるものでもなければ、言いなりになってブスだと笑われてみて楽だったっていうわけでもない。

 

や、もちろんあたしたちにだってブスって言いたくなる時がある。話の流れでそう言っちゃうこともある。でもそれって、次の日きっと後悔してる。

ブスって、手っ取り早く笑えるから。

ひどい言葉を使ったことよりも、そんなことが面白いと判断したことに自己嫌悪する。

 

「あんたってほんとブス!」そう言って楽しかったのは二十歳そこそこの頃までで、三十路を過ぎたらそんなことでいちいち笑えなくなった。

「ヤバいね!」「すごい!」「うっそぉ〜!」ばっかりの、知性のない自分。

 

ブスだったら、手っ取り早くポジションが作れる。あ、あたしここで面白いブスの席に座ったら、フルーツバスケットで晒し上げられない。

 

だからあたしたちは、すぐにでも席が欲しくって。座ってしまいたくなる。椅子は人数分あっても、その全てに価値はないから。

 

賢い生き方、幸せになる方法、価値がある自分になるためには。

 

そうやってあたしたちにはいつも、選択肢が与えられてきたような気がする。

そういうのは大抵は分岐条件だった。

美人か?頭がいいか?明るいか?スタイルがいいか?センスがあるか?料理は得意は?男を立てるか?セックスは上手いか?

そのどれでもない人間にならないように、あたしたちはとっとと自分が生き残れる場所を探す。

 

この席、空いてるよ。と誰かが言う。

ちょうどいいブスの椅子。俺でもいけそうと思われる女の椅子。俺がいないとダメなんだと男に思わせる女の椅子。結婚できなさそうな女の席。自称サバサバ女の席。頭の軽い女の席。いい人の席。

 

あたしたちには憧れている椅子があって、どうにかしてその席に座ってみたいと思う。

でもその願望は、目には見えず、形もわからないのよね。だから、目指してるはずなのに見失ってしまう。主体性を売り飛ばし、赤の他人を演じて、自分だけが擦り減っていく。

 

だいたいさ。

 

セックス予定の朝に、抜いちゃったからってドタキャンしてくるような男の遺伝子を、どこの誰が欲しいと思う?

(最近よく見るクソ男エピソードを勝手に拝借。)

 

マジでこの「あんたみたいな男の遺伝子を、いったいどこの誰が欲しがるって言うの?」はオンナの子をサイキョーにする魔法の1つだから、皆さんもぜひ使ってみてね。

 

それだけでも、あたしたちは「主体性を売り飛ばす女の席」から解放されていくような気がする。

 

 

2018年、あたしたちはなんだかんだと苦難の年だったと思う。2018年にもなって「ちょうどいいブスであれ」だの言われるなんて思ってもなかった。

あたしたちはとっくに自由に生きてるのに、世の中はそうでない不自由な女を守りたくて仕方ないのね。

 

2018年が終わるとか最後の平成とか言ったって、あたしたちが生きている一分一秒は地続きなのだから、あたしたちはもっと思ったことを言っていくべきなのだわ。

それでクソオンナだと思われても構いはしないのよ。あたしたちが言うこと思うこと考えていることが、例え間違っていたとしても、三十越えたら正してくれる大人なんていはしないのだから。